年末年始はじっくりと本を読む良いチャンスだが、本読みの達人が選ぶ書は何か。ノンフィクション作家の岩瀬達哉氏は、司法機能を読み解く書として『希望の裁判所 私たちはこう考える』(日本裁判官ネットワーク・編/大学図書/2500円+税)を推す。岩瀬氏が同書を解説する。
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日本の裁判官は、長く“絶望の季節”に置かれていた。「渋々と、支部から支部へと支部巡り、四分の虫にも五分の魂」と唄いながら、秘めたる闘志を奮い立たせていたのが、本書の執筆者たちである。
「正義を実現するため」、「憲法に忠実」な判決を下したとしても、「国の重要な行政に関わる訴訟で国に不利な判断」であれば、最高裁の意向に盾突いたとして、“報復人事”にあった者が少なからずいた。
その判決を「支持」したり、「会合で発言」した裁判官さえ、「3ないし4年毎」の人事異動で、地方の支部へ飛ばされ、東京地裁など「大都市大規模庁」には、なかなか上がってこられない。そればかりか、昇給面でも差をつけられ、同期の裁判官より給与を低く据え置かれる者もあったという。
三権分立とはいえ、裁判所も国の機関である以上、最高裁は、個々の裁判官が一定の判断枠組みを越えることを嫌い、人事や処遇で“裁判官の意識と行動”を統制してきたのである。彼らは、しかしそんな圧力に「萎縮」することなく、一貫して「市民に開かれた司法と司法機能の強化を目指す」活動を続けてきた裁判官たちでもあった。
「21世紀の日本の司法を支える司法制度」として導入された司法制度改革も、穿った見方をすれば彼らの“意趣返し”の賜物であったともいえよう。
裁判の迅速化のための「集中証拠調べは、『時期尚早であり、将来の課題』」とされていた時、個人的に実験を試みた裁判官が「体験的レポート」を公表。その目を見張る成果によって、数年後の民法の改正では「集中証拠調べの規定」が法律に盛り込まれたのである。
また、冷遇を受けながらも、「4件の死刑再審無罪事件の分析」をおこなった刑事裁判官の論文が、引き金のひとつとなって、「司法に対する国民の参加の制度」として“裁判員裁判”が導入された。裁判所の歴史の裏側には、悲喜こもごものドラマが溢れ、意外なほど面白い。
※週刊ポスト2017年1月1・6日号