放送60年目に突入した料理番組『きょうの料理』(NHK)
料理番組『きょうの料理』(NHK)が2016年11月、放送60年目に突入した。かつての日本の食卓はどのようだったのか。家族が集まる年末年始に、時代とともに移り変わるわが家の食卓の昔と今を考えてみたい。
ここでは、1960~1970年代を振り返ってみよう。1964年に東京五輪が開催され、その後の高度成長によって国民の生活は急速に豊かになった。生活が洋風化し、家族が囲んだちゃぶ台はテーブルと椅子に変わった。カレーライスやハンバーグなど、家庭料理の洋風化もどんどん進んだ。
ところが、相反するように『きょうの料理』では和風の家庭料理を紹介することが多くなっていく。
1966年に番組がカラー化され、1967年の12月には初めて純日本的な「正月料理」の特集が組まれて大ヒット。昆布巻きや煮豆、雑煮などおせち料理の基本を教える内容だった。1979年から現在まで『きょうの料理』の番組制作にかかわっている、現在フリーディレクターの河村明子さんはこう語る。
「高度成長期以降、核家族化が急速に進み、実母も姑も身近にいない人が増えました。昔であれば母親や姑が教えてくれたことを、誰も教えてくれない。家族においしい和食を食べさせたいけど、作り方がわからない。『きょうの料理』はそんな女性たちにとって、基本的な料理を教えてくれる母親の役割を果たすようになったんです」
まだ「主婦が料理を手作りして家族に食べさせる」のが当たり前だった時代。台所を1人で預る主婦たちにとって、『きょうの料理』は最も近いところにいる頼るべき先生のような存在だった。75才女性が振り返る。
「結婚して最初の年でした。年末が近づいてきて“おせちを作らなきゃ”と思ったけれど、どうしていいのかわからない。藁にもすがるような思いで『きょうの料理』のテキストを買いに走ったのを覚えています。その年は黒豆や昆布巻き、栗きんとんだけだったけれど、毎年少しずつレパートリーを増やしていきました。毎年、子供が喜んで食べてくれたのを思い出します」
1世帯の平均人数が5人から4人になったのもこの頃だ。お父さんとお母さん、それから子供は2人。長らくスタンダードとされた家族構成はこの頃から始まった。『きょうの料理』でも、1965年から紹介する材料を5人前から4人前に変更している。
基本的な料理の作り方がわからない--切実な声はおせちに限らなかった。親から娘へ、姑から嫁へと伝えられてきた「当たり前」のことが、もはや「当たり前」ではなくなっていた。そんな時代に登場したのが、“普通の主婦”。料理を「当たり前」のものとしてやってきた主婦が料理研究家として活躍するようになっていく。
1960年代から『きょうの料理』に出演し、人気を呼んだ料理研究家の堀江泰子さん(93才)もその1人。