2日間で10区を走る箱根駅伝のなかで、毎年ドラマを生むのが初日の往路ラストを飾る山登りの5区だ。最大の難所といわれ、標高874mの最高点まで九十九折の国道1号線を、芦ノ湖を目指して一気に駆け上がる。
その往路のゴール、復路のスタート地点となる芦ノ湖のほとりに建つのは、明治元年創業の『ホテルむさしや』。毎年12月から1月までの2か月間は、ホテル前に早稲田大、東洋大を応援するのぼりが上がる。150年近い歴史あるこのホテルは、70年ほど前から両大学の定宿として、山を走るランナーを見守ってきた。
2009~2012年の4年間、東洋大で5区を走り、4年連続区間賞をとった伝説の“山の神”柏原竜二選手も、このホテルに滞在した。フロントの壁には、宿泊した選手や、監督直筆のサイン色紙が飾られている。4代目の女将・太田敏恵さん(53才)は食事に気を使っている。
「献立は12月のうちに見ていただいて、召し上がれないものを聞いて、最終的に決定します。あくまで旅館なので、旬のものや地場産のものを使ったメニューをお出しします。ただ夕飯はお刺身は控えます。東洋さんには豚汁やかぼちゃ料理を必ずお出しして、逆にきのこ類は消化が遅いから抜いてほしいとのリクエストがあります。昔はね、ゲン担ぎでカツをよくお出ししていましたし、ゲン担ぎでいえば、早稲田さんには、3つの卵を使った目玉焼きをお出ししていたことがあったんですよ。どういうジンクスかはわからないんですけどね、あれ、焼くの、意外に大変なんですよね(笑い)」
どれだけ努力を重ね、万全を尽くしても、最後まで結果はわからない。だからこそ、箱根駅伝は私たちに熱いドラマを見せてくれるのだろう。太田さんも、たくさんの涙を見てきた。
「途中で気を失ったり、ブレーキがかかってしまったりして、いい走りができず、階段にうずくまって泣いている子もいました。ドア越しに部屋の中から“お前のせいじゃないぞ!”って励ます声が聞こえてきたこともありました。でも、それを見ても何も言えません。私たちがかけられる言葉はないんです。だってみんな、一生懸命やってきたわけですから…」
『ホテルむさしや』は、毎年、早稲田大、東洋大の選手チームの関係者で、定員140人、35部屋が満室になる。これまで、両校とも毎年箱根駅伝を走り続けているが、10位以内に入れなければシード権を獲得できない。
その場合、10月の予選会まで出場がわからないが、必ず部屋を空けておくのが暗黙のルールだと太田さんは言う。
「毎年、翌年の予約をいただきますが、常連校でもシードが取れないことがあります。でも、その日に他の大学や宿泊客の予約を入れることはありません。不義理ですから。これは、どこの宿泊先も同じだと思います。箱根駅伝を生で見たいという一般のかたもいらっしゃって、早い時期から“来年の1月2、3日は空いていますか?”という問い合わせもたくさんいただきます。でも、それもお断りしています。私たちは予選会で通過することを願っているんです」
※女性セブン2017年1月19日号