70歳を過ぎた政治家が引退したあとは、のんびり隠居生活にうつる人も少なくない。ところが、元経済企画庁長官の相澤英之氏は、2005年に84歳で弁護士登録をした。相澤氏は現在97歳にもかかわらず、血色がよく、我々取材班と名刺を交わすなり「良い名前だ」と気を回す。取材終了と同時に、地方自治体とタブレットでのテレビ電話会議に突入した。
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人生にはいろいろ分かれ道があるけど、私の場合は大蔵省に入るまでは普通の道のりでした。
ところが入省してすぐ陸軍に召集され、主計将校として北京に渡り、物資の買いつけを行ないました。終戦時はソ連軍に拘留されて「内地に帰してやる」と騙され、シベリア鉄道の貨物列車で23日間運ばれて、ボルガ川の支流近くにあるエラブガ収容所で2年半を過ごしました。あらぬ疑いで4か月間独房に入れられ、拷問こそされないけれど、毎日夜11時から夜明けまで同じ尋問を繰り返されて苦しめられました。
今でもあの時代の最低の暮らしを思い起こせばなにがあっても我慢できます。その経験からいうと、今の日本は平和ボケしている。戦争は絶対にしてはならないけど、平和のためにも軍備は他国並みに備える必要があります。
終戦から3年でようやく帰国。帝大時代に司法試験に合格していたので帰ったら弁護士をやろうとずっと思っていた。でも、帰国の挨拶に行った大蔵省で「よく帰ってきた。待遇はみんなと一緒にしてやる」といわれてコロッと気が変わって“復職”してしまいました(苦笑)。
大蔵省の主計局長時代などには田中角栄さん(元首相)と折衝しました。日米繊維交渉をまとめるため、角栄さんは大蔵省に1500億円の予算を求めてきた。無茶な要求でしたが日米の外交のためになんとか飲みましたよ。
その後、角栄さんから「都知事戦に出ろ」と誘われました。出るなら国政と思っていたので「金がありません」と断わったら、「金は自民党が出す。石原(慎太郎)は名前は売れているから3億円、君なら15億円出す」とズバッといわれましたね(笑い)。