【書評】『管見妄語 グローバル化の憂鬱』/藤原正彦・著/新潮文庫/460円+税
【評者】嵐山光三郎(作家)
藤原正彦氏は、数学者の目玉で複眼的に観察し、匂いを嗅ぎわけ、解剖して、パズルをとくように示してくれる。明解である。
格闘技を修練して、屁理屈をこねる者を退治し、日本人差別をする税関には勇猛の精神で突貫する。
日本は世界に類がない平和愛好国で、争い事を嫌う。太平洋戦争でコテンパンにやられて、争いをさけることが国是となった。尖閣、竹島、従軍慰安婦、南京虐殺に関しても、こちらの見解を明示せずにぶつぶつと異議をとなえるだけだ。日本人として生まれた宿命で、真実はひとつだから、世界はいつかわかってくれるだろうと思っているが、そうはいかない。
隣国の広報宣伝やロビー活動により、アメリカをはじめ世界は、それらの言い分に大きく傾き、史実になりそうな勢いだ。
世界各国を旅して、会った人々と激しい議論をかわし、すんでのところでケンカにならないのは、ユーモアの技術にたけているためだ。ユーモアは、場数をふまないと使えない武器で、あんまり若い連中がやると嫌みになる。
大数学者の岡潔先生は、パリで多変数関数論の研究にとりかかる前、蕉門の俳諧をすべて調べ、『おくのほそ道』『更科紀行』『笈の小文』などの研究に没頭したという。俳句は藤原家のお家芸で、祖父は杣人という俳号を持っていた。
父(小説家の新田次郎)は満州気象台にいたころも月例句会に参加し、引揚げの途中、ロシア兵によりシベリアに連れていかれた。引揚げ団の連絡用小黒板には、「秋雨や家なき人の集まりて」と父の句が残されていたという。
藤原氏がアメリカにいたころ、毎週のように母(藤原てい)から航空便が届き、最後は父の俳句で締めてあった。三月の初めに貰ったものに「紅梅の色にじませて春の雪」があった。この一行の俳句でふるさとを思い出した。
で、ご本人は、芭蕉の「山路来てなにやらゆかしすみれ草」のような品格高い句をめざして「山路来てなにやら怖しスズメバチ」と詠みました。
※週刊ポスト2017年1月13・20日号