日の出ヶ丘病院ホスピス医の小野寺晴夫氏(86)
増加する高齢者の健康面をサポートするため、自身も高齢でありながら活躍する医師たちがいる。昨今「高齢者」の区分を75歳以上とする提言が出たが、その年齢を超えても、現役として元気でいられる秘訣は何なのか。ホスピス医として週2回、高齢者やがん患者などの緩和ケアに携わっている日の出ヶ丘病院ホスピス医の小野寺晴夫氏(86)。死と直接向き合う仕事をする彼は自身の“最期”をどう捉えているのか。
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57歳の時に咽頭がんになり、腫瘍を切って放射線治療などを受けました。それをきっかけに死について深く考えるようになりました。それまでは仕事一筋で、家族を顧みず、日曜祭日盆暮れなく働いていました。ですが、当時ちょうど管理職になった頃で、入院患者を持たなくなったこともあり、「いつ死ぬかわからないのだから、やりたいことをやる」と心に決めました。
山登りを本格的に始め、これまで日本だけでなく海外の山々にも35回ほど登りました。ほかにも100坪の農園を借りて野菜作りをし、65歳で常勤を退いてからは、バイオリンをこっそり習い始めました。子供に混じってレッスンに10年通いましたよ。
ホスピスにプロのピアニストがボランティアで来るのですが、「一緒に弾こう」ということになって、月に1回、患者の前でバイオリンを弾いています。これが一番の苦労で、今でも練習しない日はありません。
7年前に妻を白血病で亡くした後も大変でしたね。それまでは家内におんぶにだっこで、預金通帳の置き場所も把握してませんでしたから。今は月水木は働いて、火曜日を掃除、洗濯、庭の手入れなど家事に当てています。金曜日は朝から夕方まで麻雀、週末は1泊のハイキングです。忙しいですけど、趣味の充実が仕事の活力になっている。
歳を重ねたことが仕事に役立っている面もあります。この歳になると自分もいつどうなるかわからないから、死を控えた患者さんたちと心から通じ合える。「患者対医師」ではなく、“後から追って逝く友達”の関係になれるんです。
仕事は「働けなくなったらやめればいい」と思っています。死に方にもこだわりはありませんが、「認知症で長生き」というのだけは避けたい。認知症の人の最期は数多く見てきました。なかには有名人や学者もいましたが、本当に悲惨ですから。
認知症になると自分では認知症だとはわからないので、高齢になったら早めに介護を頼める信頼できる人を探しておくといい。でも、自分がそうなった時のことを頼んでいた69歳の介護士が、僕より体調を崩してしまって困っているんです(苦笑)。
※週刊ポスト2017年1月27日号