2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載 「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、仏陀の「信仰を捨てよ」という言葉について田中氏が解説する。
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仏陀(目覚めた人)が説法を躊躇していたときに、梵天(世界の創造主)が説法を勧めたという話(梵天勧請説話)です。中村元著『ゴータマ・ブッダ』では「耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。〔おのが〕信仰を捨てよ」と訳されています。
ここで〔おのが〕とあるのは中村博士の解釈で、原文は「信仰を捨てよ」(パムンチャントゥ・サッダム)です。私は「信仰を捨てよ」の意味は「信仰〔そのもの〕を捨てよ」という意味だと思っています。
私が梵天勧請説話に注目して仏教を解釈したのは昭和61年に栗山秀純師との共著『科学時代のヨーガ』を出版した頃でした。北條賢三師の講義で、サンスクリット(古代インド標準語)のデーヴァ(神、通常は梵天のように「天」と訳される)に継る古い印欧語(アーリア民族に発した言語)が古代ペルシャ語ダイーヴァを介してギリシャのダイモーン(神)に継っているような話を聞き、お釈迦様に語りかける梵天(ブラフマー・デーヴァ)とソクラテスのダイモーンの「心の内に語りかける神」という共通性に夢を膨らませたものでした。
その頃、ハワイ州立病院で12年間チャプレンをしていた浄土真宗の小泉敬信師等と国立がんセンター関係者達と「仏教ホスピスの会」を立ち上げ、築地本願寺で「癌患者・家族語らいの集い」を毎月開くようになりました。
死が現実のものとなった癌患者の「語り」を傾聴し、患者本人が自分の人生の物語を完成する手伝いをする。そして、本人が自分の人生に価値を見出す。これがホスピス運動の提唱者シシリー・ソンダースが目標にした「死にゆく人の尊厳」です。自分の死を超えた価値、それこそがその人の「宗教」です。宗教の自由が保障されるべきで、信仰の押し付けは禁じられます。