増加する高齢者の健康面をサポートするため、自身も高齢でありながら活躍する医師たちがいる。今年1月、「高齢者」の新たな区分と提言された「75歳」を超えても、現役として元気でいられる秘訣は何なのか。介護老人保健施設の施設長を務めるかたわら、現役の婦人科医として久地診療所にも勤務するなど、多忙な日々を過ごす介護老人保健施設「樹の丘」施設長の野末悦子氏(84)は、この先も「どんな形ででも医者として人の役に立ちたい」と語る。その強い想いはどこから湧いてくるのか。
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私は死ぬ瞬間まで医者でありたい。それは2人の尊敬する医師の姿を、人生の理想としているからです。
ひとりは義父、夫の父親で、95歳で亡くなるまで患者さんを診続けていました。私も病院で手伝っていたのですが、患者さんの血圧を測ろうとすると「私は大先生(義父)でなければダメでございます」と話す方がたくさんいらした。歳を取っても本当に患者さんに慕われていました。
もうひとりは、私が1997年まで勤務していた川崎協同病院を創られた岡田久先生です。先生は治療が困難な状態で肺がんが見つかってからも、医師として最期まで診療を続けられました。
私も50歳の頃に身体を悪くして歩くのが困難になったことがありましたが、医師を辞めようと思ったことはない。電車の乗り換えさえままならない状態でも、講演や学会に行き、診察も1日も休みませんでした。
私は仕事以外でも老いてからの人生を愉しむためにオシャレもしますし、好奇心を失わないようにしています。これが、生きる活力になる。良い友達に恵まれたことも大きいです。この先も、例えば目が見えなくなっても、耳は聞こえるから耳でできる仕事をする。生きている限り、自分ができる最大限の医者としての在り方を模索します。
私、瀬戸内寂聴さんの生き方にとても共鳴するんです。動けない年になっても相談を受けて、言葉で人を救っていらっしゃる。私も「寝床からでも電話相談はできるし」と思っています。
岡田先生は、最期の3日間だけ入院されましたが、見舞いにいらした大勢の方々に、相手に合わせた素晴らしいご挨拶をされました。最期に「もうだいぶ疲れたし、皆さんもお帰りになったから、ここで眠らせてください」と。もちろん先生は、明日の朝、目が覚めないであろうこともおわかりだったと思います。そして、すやすやと眠るように亡くなられました。
医師としての人生を全うして、皆さんに最期のお別れをして旅立つ。私もそういう死に方ができれば幸せですね。
※週刊ポスト2017年1月27日号