【書評】『建築の前夜 前川國男論』/松隈洋・著/みすず書房/5400円+税
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター教授)
敗戦後しばらく、建築家・前川國男は、日本戦時体制への抵抗者だと、言われてきた。インターナショナルなモダンデザインで、官製の日本趣味にあらがった、と。だが、一九八〇年代ごろから、そんな一般通念をうたがう指摘も、あらわれだす。日本戦時体制は、日本的な表現などもとめていない。前川には、戦時体制と情熱をわかちあうところもあった、と。まあ、こういうことを言いだしたのは、ほかならぬ私でもあるのだが。
著者は、若いころに前川の事務所で、建築の技をみがいてきた。存命中の前川当人からも、じかに薫陶をうけている。前川をとりまく人びとの知遇も、もちろんある。それらをいかし、また古い記録にもわけいり、著者は戦前戦時の前川へせまっていく。いったい、あの時代を前川はどう生きたのかに、あらためて光をあてた。
そのなかで、やはり前川には戦時体制へよりそった部分のあることが、たしかめられる。しかし、著者はそのことを、あまり否定的にはえがかない。逆境にあって、そこからにげず、むしろ自分の建築観をはぐくむ肥料とする。その姿勢に、建築家としての誠実さを感じるという。
戦後の前川は、「一筆書き」ともよばれる平面計画を、みのらせた。著者は、その下地にも戦時下の苦闘があると見る。また、最初の開花例を、一九四三年の在バンコック日本文化会館計画に、見いだした。そこへといたる前史を、前川の読書歴にさぐる分析は、読みごたえがある。やはり、出色の評伝であるというべきだろう。
さきほどふれたが、私も前に戦前戦時の建築史へいどんでいる。この本で利用されている資料の多くにも、なじみはある。しかし、まったく知らないデータも、著者はほりおこしてくれた。前川がコルビュジエにあてて書いた手紙では、一本とられたと思っている。東京市の忠霊塔コンペがなんであったかも、この本で教えられた。
ただ、文献の引用は、長すぎる。もう少し、要点をまとめてつたえる手はなかったかと、考える。
※週刊ポスト2017年2月3日号