東アジアで米軍のプレゼンスが低下するなか、尖閣諸島周辺で日中が対峙すれば、史上初めて戦闘行為で自衛隊員の血が流れる可能性がある。99年の能登半島沖不審船事件で”戦闘現場”に遭遇し、その体験を『国のために死ねるか』(文春新書)に綴った元海上自衛隊「特別警備隊」先任小隊長の伊藤祐靖氏は、「自衛官に死者が出る」ことの覚悟を国民に問う。
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国が「行け」と命じれば自衛隊は出動する。尖閣諸島に中国の武力組織が上陸しても、自衛隊の能力をもってすれば奪還はたやすい。だが、軍事では作戦の難易度と安全性は別の話であり、自衛隊員が命を落とすことは十分に考えられる。
現場の隊員は、「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つ」という防衛省設立の目的に合致したミッションを与えられれば、いつでも国家のため死地に赴く。彼らは危険な任務を前提に、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め」る『服務の宣誓』をして入隊し、国民の税金から俸給を頂く身分であるからだ。
実際に、死者が出てもおかしくない状況を私は体験した。護衛艦「みょうこう」の航海長だった1999年、能登半島沖に日本人を拉致した疑いのある不審船を発見し、追跡した時のことだ。自衛隊史上初めて「海上警備行動」が発令され、警告射撃で逃げる船を停船させた。
その時、立入検査のため不審船内に自衛隊員を送り込む必要があった。拉致された日本人がいれば、是が非でも救出しなければならない。相手は特殊訓練を受けた北朝鮮の工作員である可能性が高く、戦闘になり命を落とす危険がある。
当時はまだ、海軍の仕事は船の沈め合いだという認識があり、武器による抵抗が予想される船舶を立入検査するという発想は出てきたばかりだった。そのため、我々は防弾チョッキもなかった。それでも隊員たちは、腹を決めて粛々と準備を始めた。
結局、不審船は再び動き出し、猛スピードで北朝鮮の領海へ逃げ込んだため、実際に彼らを送り込むことはなかったが、自衛隊員が最も「死」に近づいた瞬間だった。緊迫感を増す日本周辺の安全保障環境において、能登半島沖のような事態は十分起こりうる。(談)
【PROFILE】いとう・すけやす/1964年生まれ。日本体育大学から海上自衛隊へ入隊。「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事件を経験。後に海自の特殊部隊「特別警備隊」の創設に関わる。現在は退官し、警備会社のアドバイザーを務めるかたわら、私塾にて現役自衛官の指導にあたる。著書に『国のために死ねるか』(文春新書)。
※SAPIO2017年2月号