2016年12月31日をもって解散したSMAP。木村拓哉とそのほかの4人とが対立、こじれた関係が修復できずに解散に至ったとされている。
メンバー同士の“不仲”が原因で解散したグループは枚挙にいとまがない。『浪漫飛行』など100万枚を超えるミリオンセラーを生んだ米米CLUBは12年活動を続けたのちに1997年に解散した。その理由は当時、カールスモーキー石井の借金が原因で不仲になったと報道された。メンバーのジェームス小野田(57才)が初めて当時について明かした。
「メンバーは学校も一緒でずっと友達。最初は仲間で面白いことをやろうという感覚で曲を作っていて、だから『コミックバンドだ』といわれてたんです。ハナ肇さんからも『きみたち面白いね。クレイジーキャッツバンドだろ、ドリフターズだろ。それでそのあとが米米CLUBだよ』って言ってもらって…まだ全然有名になってなかったころだけど、そのころは楽しかった。いやあ、楽しかったなあ…」
しかし曲がヒットし、人気が出てくるとプロデューサーも付き始め、かかわる人の数や動くお金の額も膨大になってくる。周囲からの期待も、当然膨らんだ。
「そうなると、自分たちが楽しいことだけをやっていくわけにはいかない大人の事情があるんですよね。解散前に、森(且行)くんがSMAPを脱退した時みたいに、メンバーが2人辞めたんです。その時に何かが違うなっていう違和感というか、しっくりこないところはありました。それでも、米米CLUBを存続しなければいけないという周りからのプレッシャーと期待感があって…。ありがたいと思うと同時に、そうじゃないんじゃないかという気持ちがありました」
そんな時、脱退したメンバーがライブを見に来たことがあった。
「『おれたちはこんなバンドにいたのか』なんてことを言われて…ショックだったけれど、やっぱりそうかという思いもありました。その後何度も話し合いをして、一度解散しようということになったんです」
10代から始めるからこそ、成長し、年を重ねるにつれて性格や考えの違いが出てくる。25年続いたSMAPも結成時はみんな10代。結成8年目に森がオートレーサーの道を歩むために脱退。その後、キムタクの結婚で解散説が出たこともある。2014年の27時間テレビではSMAPのメンバー自らが「解散の危機は4、5回あった」と明かしてもいる。そう考えていくと、青春時代から40代を迎えるまでグループでいたことの奇跡と、そこにずっと立ち会って来られた幸運を感じずにはおれないのではないか。