順風満帆ではなかった。『劇団四季』では看板俳優だったが、退団後はなかなか仕事が見つからなかった。オーディションを受けるため稽古をしようにもスタジオを借りるお金がなく、カラオケ店を稽古場としていた時期もある。『ミス・サイゴン』のオーディションを受けたのはそんなどん底の時期。ようやく念願の役を手に入れたとき、英国人の有名プロデューサーから「きみは(オーディション室に)入ってきたときから、エンジニア(役名)だったよ」と声をかけられた。その目は確かだった。
「『ミス・サイゴン』に市村あり」といわれるようになるまでに、そう時間はかからなかった。以来四半世紀──。市村正親(67才)が、1992年の初演時からずっと演じ続け、当たり役と高く評価された『ミス・サイゴン』のエンジニア役を卒業した。1月22日の千秋楽のカーテンコールでは、拍手がいつまでも鳴りやまず、客席には感極まって涙を流す人もいた。そこには夫のラストを見届ける妻・篠原涼子(43才)の姿もあった。
1992年の初演以来25年間、計853回、市村はエンジニアとして舞台に立った。しかし、2014年には開幕直後に休演に追い込まれた。胃がんだった。2016年10月に始まった今回の公演は、市村にとって待ちに待った復帰の舞台。ただし、初日前に、卒業する胸の内も明かしていた。
篠原は、最後の舞台を共にかけ抜けた。東京公演だけでなく、地方での公演にも何度も足を運んだ。
「東京、名古屋、それから大阪。何度も篠原さんの姿を見かけました。お子さんを連れていることもありましたね。パパの勇姿を家族みんなで見守っている姿が印象的でした」(熱心な市村ファン)