かつてプロ野球界では、レコードを出すことがスター選手の証しだった。巨人・中日で活躍した西本聖氏もそのひとり。西本氏が、1988年に発売したレコード『愛あるかぎり』(バップ)について振り返る。
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巨人の選手はよくレコードを出していましたけど、僕は人前に出るのが苦手でカラオケを歌うこともなかったから、まさか自分が出すなんて思いもしなかった。でも、プロ入りした頃から付き合いのあった、『高校三年生』の作詞をした丘灯至夫(おか・としお)先生の勧めで、『愛あるかぎり』という歌を出しました。
トレードで巨人から中日に移り20勝した1989年のオフに、また丘先生から「記念に歌を作ろう」といわれました。普通はレコード会社の会議にかけて検討すると思いますが、先生の鶴の一声でレコード発売が決まったみたいです。
正直、江川卓さんが引退した1987年に僕も辞めようと思っていました。移籍前の数年はコーチとの確執が話題になって、あることないことで頻繁にスポーツ紙の1面を飾っていましたしね。
その頃、丘先生の家に行って、よく相談に乗ってもらっていたんです。すると、「歌手は名前を覚えてもらうのが大変。毎日のように名前が出るのは、他の世界から見ると、すごいことなんだよ」と諭してくれたんですね。自分は野球界という小さな世界の中でしか物事を見られない。違った世界から客観的に見ると、そういう考え方もあるんだなと気持ちが楽になりました。
巨人入団直後から、日本一の歓喜、確執による苦悩、トレードに出された無念、初めて20勝した喜びまで、僕のプロ野球人生の全てを知っている丘先生は、『男』という歌で自分の生き様を歌詞に余すところなく反映してくれていて、凄く嬉しかったですね。
自分が歌うには、あまりにもったいないほどの名曲です。プロの歌手に歌ってもらってリバイバルで発売してほしいですね。
●にしもと・たかし/1956年生まれ、愛媛県出身。1975年巨人に入団。1980年から6年連続2桁勝利し、1981年に沢村賞を受賞。1989年中日に移籍し最多勝のタイトルを獲得。
■撮影/藤岡雅樹 ■取材・文/岡野誠
※週刊ポスト2017年2月10日号