1月23日に公表された論点整理を基に、議論が大詰めを迎えている天皇陛下の生前退位。陛下が皇室典範改正も含めた恒久的な制度設計を望まれている一方で、安倍晋三首相を中心とした官邸側は「1代限り」の方向で議論をリードしている。
生前退位の方針が決まる特例法案の国会提出は5月上旬の見込みだ。猶予はわずか3か月弱。陛下の悲願は瀬戸際にある…。
陛下、ひいては皇室と、安倍首相の相容れない関係は今に始まったことではない。安倍首相が初めて内閣総理大臣の席に座ったのは2006年9月のこと。だが、相克の源流はそこからさらに1年さかのぼる。
「当時、小泉純一郎政権下では、女性・女系天皇容認の議論が進められ、法案化寸前でした。長らく男子が誕生しなかった皇室において、安定的な皇位継承の幅が広がるもので両陛下の期待もあった。ところが、当時の官房長官だった安倍さんの主義主張とは違うもの。結局、首相就任直前に悠仁さまが誕生されたのを契機に議論が潰されてしまった」(政治記者)
2012年10月には当時の民主党・野田佳彦政権下で「女性宮家創設」論議が高まりを見せ、皇室典範改正に向けた論点整理が発表された。ところがそれからたった2か月後、返り咲きを果たした安倍首相は女性宮家が女系天皇への呼び水となるとし、《皇位継承は男系男子という私の方針は変わらない。野田政権でやったことは白紙にする》と表明した。
だが、両者の相克は皇統の問題に限ったことではない。2013年12月の誕生日会見で、陛下は次のように述べられた。
「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」
憲法の重要性に改めて言及された理由には、イラク戦争初期の2003年に始まった特措法による自衛隊のイラク派遣、その延長上にあった「9条問題」「憲法改正」への牽制もあったことだろう。だが、安倍政権は2015年5月、安保法制を成立させ、「いわゆる駆け付け警護」の任務を付与された自衛隊施設部隊が昨年12月から南スーダンに派遣されている。
陛下のご学友で皇室ジャーナリストの橋本明さんは憤る。
「平和憲法を骨抜きにする姿勢を示したことは、安倍首相が陛下をないがしろにしているということだと思います」
さらに安倍首相は1月20日の施政方針演説で「(改正)案を国民に提示するため、憲法審議会で具体的な議論を深めようではありませんか」と述べ、憲法改正へまい進している。
ついには昨年9月26日、4年4か月にわたって宮内庁長官を務めた風岡典之氏が職を退いた。風岡氏は、9月15日に70才の誕生日を迎えたばかりだった。