南シナ海を自らの版図に組み込むべく、中国人民解放軍は人工島増設を進めている。国際秩序をかき乱す暴挙に他ならない。一方で、東南アジア諸国(ASEAN)が一枚岩で抗議できないのは、中国が彼らの急所を握っているからでもある。このたびジャーナリストの安田峰俊氏が訪れたカンボジアは、 まさにいま中国に喰われようとしている。
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熱帯の日差しがヘルメットを焼いた。バイクのエンジンをふかし、過重積載のトラックとトゥクトゥクの群れが渦巻く環状交差点に突っ込む。私が目指すは、街の北東のトンレ・サップ川(メコン川の支流)に架かる全長約710mの「日本・カンボジア友好橋」(通称・日本橋)だ。
いざ日本橋に差し掛かると、路面の老朽化が激しく穴ぼこだらけで難渋した。いっぽう、左手には建設直後の新橋が並行して伸び、対向車両が快適なドライブを楽しんでいる。やがて渡り切った場所に待っていたのは、中国製の巨大な電光掲示板と五星紅旗がはめ込まれた華々しい記念モニュメントであった──。
ここはカンボジアの首都、プノンペンだ。かつて泥沼の内戦に苦しんだ同国だが、近年は目覚ましい勢いで復興が進み、毎年7%以上のGDP成長率を誇る「東南アジア最後のフロンティア」として注目を集めている。1990年代初頭、明石康氏を代表とするUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)が国内の混乱を収拾し、その過程で邦人2人が殉職するなど日本との縁も深い。
トンレ・サップ川に初代の日本橋が架かったのは1966年だ。この橋は内戦時代にポル・ポト派により爆破されたが、日本は1994年に無償資金協力を通じて橋を再建した。現地では結婚写真の撮影場所に使われるなど、両国の友好と復興のシンボルとして長らく愛されてきた。
だが、近年は経済発展に伴う交通量の激増や経年劣化で、橋の再整備を求める声が出ていた。そこで登場したのが中国である。
2015年10月、かねてからカンボジア政府への有償借款契約に合意していた中国は、なんと日本橋と完全に並行する形で「中国・カンボジア友好橋」を建設する。現在は市街方面に向かう上り車線を中国橋、下り車線を日本橋で分担して運用されている。