かつてプロ野球界では、レコードを出すことがスター選手の証しだった。ヤクルト一筋で191勝を上げた松岡弘氏もそのひとり。1975年に『男道』をリリースした松岡氏が、その経緯について振り返る。
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1974年オフ、球団オーナーから直々に「『とびだせヤクルトスワローズ』という球団歌を出すから、歌ってくれ」と頼まれた。歌はうまいと自負していたから、「よし、来たな」と思ったね。オフにプロ野球選手が集まる歌番組で毎年のように賞を獲っていたし、箱根にあるオーナーの別荘にも「今から歌いに来い」とよく呼ばれていたからね。
球団歌を作曲した鈴木淳先生と仲良くなって、次の年にNHKの『あなたのメロディー』(1963~1985年放送)に出ないかと誘われた。視聴者からオリジナル曲を公募していて、鈴木先生も審査員として参加していた。
最初断わったんだけど「後押しするから」と言われて、野球道に通じるような詞を書いて先生の自宅に持っていった。そしたら、歌に合うような詞に直してくれて、曲はお弟子さんが作ったのを、自分が歌いやすいようにアレンジした。『男道』の作詞作曲は、松岡弘となっているけどね(笑い)。曲づくりや練習で、数か月かかったんじゃないかな。
生放送だったし、楽しんで歌えるオフのプロ野球選手の歌合戦番組と違って、緊張して声が出なくて、俺の歌唱力はこんなものかと落胆したよ。
番組に1回出て終わりかと思ったら、レコードを発売することになった。ジャケット撮影の時はスタイリストもついて、化粧もした。「パンチパーマにしてくれ」というリクエストにも応えたよ。できあがりを見て、俺も歌手になったなあと、勘違いしたね(笑い)。
1976年には、セントラル・リーグの連盟公認歌『六つの星』にも参加した。バックコーラスとして各球団から1人ずつ選ばれて、王貞治さん、星野仙一さんらと一緒にレコーディングしたよ。俺の声はよく通るみたいで、マイクが拾ってしまうから、一人だけ少し下がって歌ったね(笑い)。
歌うことで、度胸がついて、野球にも役立つ訓練になった。人前に出るし、歌詞を間違えちゃいけないという緊張感もある。今の選手も、歌う機会をどんどん持った方がいいと思う。
●まつおか・ひろむ/1947年生まれ、岡山県出身。1968年にヤクルト前身のサンケイアトムズ入団。1978年、16勝し球団初のリーグ優勝に貢献、沢村賞を受賞。
■撮影/藤岡雅樹 取材・文/岡野誠
※週刊ポスト2017年2月10日号