元宝塚歌劇団花組トップスターの女優・真矢ミキ(53)が、宝塚を受験した当時を振り返る。
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受験シーズン真っ只中。雪が降りしきるなかセンター試験に向かう受験生のみなさんの映像を見ながらウン十年(!)近く前の受験を思い出しておりました。私が受験を経験をしたのは、後にも先にも中学3年生のときだけ、高校と宝塚のW受験でございました。
というのも、テレビなどが普及していない頃の母が、「娘を宝塚に入れる」というそんな少し夢のある会話を女学生の当時していたから。
だからってわが子が受験となったら、さぁ宝塚に! なんて頭が直結する母ではなく、私は芸術の習い事などに一切触れることのない、普通の学習塾に通う子だった。
ではなぜ私が宝塚受験をしたのか。転勤族だったうちの家族は私が小学5年生の時には5回目の引っ越しとなっていた。そこがたまたま大阪府豊中市だった。そしてその豊中駅から2つに分かれてのびる阪急電車の終点が“梅田”そして“宝塚”だったのだ。
ある日、その阪急電車にかわいらしい茶色の制服姿の女の子が乗っていて、あの制服はどこの学校? と母に尋ねると、それがなんと母が遠い昔に封印した宝塚だったというわけです。母はこの日から「見てみる? 宝塚」なんてニコニコひとりで夢を、今思えば膨らませていた気がします。
そう、そんなわけで私は中1から宝塚の付属校・コドモアテネというところに通いだしたのです。ここは受験はなく先着順で入る、習い事の学校みたいなところで、小学4年生から中学2年生までの女の子が毎週日曜日だけ、声楽、日舞、そしてバレエなどを教えてもらえる。母も夢は持つものの、ここはやはりわが子。浴衣くらい着られるようになってくれれば…くらいの気持ちだったんだと思う。
しかし、受験時期となった3月、コドモアテネ内の皆さんの会話は「誰々さんは宝塚受験らしい」とか、もっぱら宝塚受験話だった。そうか、ここは単なる習い事として通うだけではないんだ! 遅ればせながら、そんな聞こえてくる声が私を奮い立たせた。
洗脳されるが如くアッという間に受験を意識するようになり、3月下旬、宝塚受験をしっかりと胸に決意した私が蔦のからまる宝塚音楽学校の門の前にチョコンと立っていた。