【書評】『本を読む』/安野光雅・著/山川出版社/1800円+税
【評者】関川夏央(作家)
安野光雅は高名な画家だ。司馬遼太郎『街道をゆく』の挿画でも知られる。一九二六年、大正最後の年生まれの彼は兵隊にとられた最後の世代で、今年九十一歳。以前はヨーロッパを車で走り回っておられたが、免許は返納したという。そんな人が「本」をめぐるエッセイを書いた。
ただし安野さんは「紙の本」の「攘夷主義者」ではない。ネット動画を見ては感心している「おじいさん」が、もう少し「紙の本」を読んだらどうかと、「寄り道、回り道、戻り道」しながらのユーモラスな文体で提案する。
この本で安野さんは三十四冊の本を勧めるのだが、なかでも久米邦武『米欧回覧実記』、中江兆民『一年有半』、ローラ・インガルス・ワイルダー『プラム・クリークの土手で』(英文)、森鴎外『椋鳥通信』、桂文楽『寝床』などを偏愛しておられるようだ。落語の『寝床』の引用はDVDから著者自身が起こして掲げた。
本は「一本の道だ」と安野さんはいわれる。「一本の道は、自分が行こうとしなければ誰もつれて行ってくれない」「一本の道をあとにもどってもう一度通ってみることができる」。しかしテレビや映画を流れる時間には「道草」の楽しみがない。「ただ受け身で、考えさせることをしない」。つまり意志と主体性の違いだ。
ショヴォ『年を歴た鰐の話』は、ナイル河に住んでいたとき建設中のピラミッドを見たというたいそう年寄りの鰐が、あるとき蛸を愛したが脚の数がわからなかったので、鰐は愛人の脚を数えながら全部食べてしまったという話だ。
著者は昔吉行淳之介から借りて、のんびりと悲哀に満ちたこの物語を読んだ。ショヴォとは訳者・山本夏彦の別名ではないかといわれたが、実在した人だとパリへ行ったとき証明したのは安野さんの旧友、デザイナーの堀内誠一だった。
「紙の本」の文化がかつてつくりだした友人たちと教養の円環が、いまや回想の対象でしかないとすれば、未来は明るくない。
※週刊ポスト2017年2月24日号