『ウルトラマン』が放映された1960年代は、飛行シーンやミニチュア化された街並みの完成度など、特撮ドラマにおける映像技術のピークを迎えた時期だった。その一方、最高視聴率40%を記録した『鉄腕アトム』(1963年)を皮切りに、『エイトマン』(1963年)や『サイボーグ009』(1968年)など、後のテレビアニメに大きな影響を与えた作品の放映が次々始まる「アニメの第1次ブーム」でもあった。
その黎明期を支えた人物のひとりが、手塚治虫氏の専属アシスタント第1号として知られる笹川ひろし氏だ。笹川氏が語る。
「私が監督した『宇宙エース』(1965年)はその中でも初期にあたる作品です。当時は人手が足りず知り合いの主婦に彩色を頼んだほどでした。
モノクロ作品とはいえ5色の絵の具を使うので、絵の具と塗る場所にそれぞれ番号を振って、それに合わせて塗ってもらっていました。私も漫画家になりたくて上京したのですが、自分の描いた絵に動きや音楽がつくのが楽しかった。『もう雑誌漫画はなくなる』『アニメの時代が来る』と確信したのもこの時期です」
手塚をはじめとしたアニメーターが様々な表現方法を次々に確立していくなか、アニメはさらなる進化を遂げた。通常30分の枠で使用されるセル画は4000枚ほどだが、『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年)に至っては複雑なキャラクターの造形やメカニックを描き込むため1万枚も使用されることがあったという。
かつては単なる勧善懲悪に終始していたストーリーも、時代を映し出す内容へと変化していく。『科学忍者隊ガッチャマン』は、戦争や公害といった社会的な問題をテーマに据えた重厚なドラマを描き出すことで、それまでほとんど子供のみだったアニメのファン層を大人にまで広げた。
同作の紅一点・白鳥のジュンの声を担当した声優・杉山佳寿子氏が語る。
「それまで特撮やアニメの女性は男性兵士を送り出す役割がほとんど。ジュンは男性メンバーと一緒に敵と戦う。当時、女性の権利向上が叫ばれていたことが背景にあったと思います」
弱きを助け、頑なに正義を貫いたテレビヒーローに胸ときめかせた昭和という時代。そこには、先の見えない現代を力強く生き抜くヒントが隠されているのかもしれない。
■取材・文/小野雅彦
※週刊ポスト2017年2月24日号