現在、日本で唯一プロマイド販売を行なう、東京・浅草にあるマルベル堂。娯楽の王様が映画からテレビに移行し、『スター誕生!』(日本テレビ系)などから新星が誕生した昭和40年代以降、プロマイドの王座もアイドルに替わる。
昭和46年には“新三人娘”と呼ばれた南沙織、天地真理、小柳ルミ子、昭和50年には桜田淳子、山口百恵、キャンディーズが、歌手部門の売り上げベスト3に輝くなど、上位は毎年アイドルが独占した。
歌手デビュー前にファンから「プロマイドを出してくれ」と要望が殺到した大場久美子は、昭和53年、54年に女優部門の1位に輝いている。彼女たちの微笑を求め、浅草の店は修学旅行生でごった返した。
アイドルは多忙を極めても、嫌な顔一つせずに撮影に臨んだ。同社6代目カメラマンで店長を務める武田仁氏が話す。
「山口百恵さんは移動のタクシーの中で、手のポーズを考えたり、鏡を見て笑う練習をしたりしていたみたいですし、キャンディーズの3人は画角からはみ出ないように、一度ポーズを決めると微動だにしなかったと聞いています。ピンク・レディーは収録の合間に、局の階段でわずか1、2分で撮影しても、笑顔を絶やさなかったそうです」
月間売り上げランキングは『明星』や『平凡』といった雑誌に掲載され、芸能人の人気をはかる一つの指標となった。当時マルベル堂は芸能事務所からの依頼で、宣伝写真も作るなど持ちつ持たれつの関係だった。『ひまわり娘』でデビューした伊藤咲子がのちに「私はマルベル堂さんで、アイドルとしての笑い方を教わりました」と語っているように、プロマイドはアイドルの登竜門だったのだ。
だが、昭和60年代に入ると、原宿にアイドルショップがオープンしたり、生写真が横行したりしたこともあり、人気が下火になる。同時に、芸能界に肖像権の意識が高まり、撮影が容易ではなくなった。アイドルの隆盛も陰り、昭和63年の西田ひかるを最後に、アイドルのプロマイド撮影はピリオドを打たれた。
「それでも、大正と昭和のスター2371人、8万7617版は大きな財産。YouTubeで当時の映像を見た影響なのか、最近は沢田研二や南沙織のプロマイドを買っていく10代もいます。マルベル堂には後世にプロマイド文化を伝え続ける義務があると思っています」(武田氏)
■取材・文/岡野誠 プロマイドの写真/(C)マルベル堂
※週刊ポスト2017年2月24日号