「常識」と思われていることは、実際には、せいぜい最近の数十年の当たり前でしかないことが少なくない。家族のカタチも、父、母、祖父母、子どもが一緒に暮らすのが当たり前だと思っているかもしれないが、そんなカタチは壊れ始めている。鎌田實医師が、家族を描いた映画をきっかけに、AIと人間の違いについて考察する。
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家族のカタチが壊れ始めている。非婚・晩婚化も激しい。熟年離婚も多い。パートナーとの死別で独り暮らしの高齢者も増えている。15年で100万人増えて400万人になった。みんなどこかで寂しさを感じている。若者から高齢者までがんばって恋をして、パートナーを探すのも大切なことだ。
現代の家族の崩壊の物語を描いた映画『たかが世界の終わり』。34歳の若者が自分の死を悟り、12年ぶりに家族のもとに戻ってくる。そのたった一日を見事な映像美で描いている。監督は、若き天才グザヴィエ・ドラン。
家族が全力でぶつかり合い、爆発するのだが、怒りも憎しみも悲しみも切なさもすべて愛の一部だと気付かせてくれる。
昨年、AIが小説を書いて、話題になった。将棋や囲碁、チェスでは、AIは人間に勝ち始めた。深層学習ができるようになり、話し相手にもなりだした。今後もめざましく発展していくだろう。
合理的な思考を追求するAIは、古典的なSF小説のように、「人間がいなければ、うまくいく」と、近々人間を排除しようとする世の中が来るのだろうか。
人間は不完全である。理屈に合わないこともする。愛はいつだって理屈に合わない。だから面倒と思わず、だから面白いと考えたい。愛するから傷つけられたり、傷つけることもある。AIは、そんな人間の不可解な愛を習得できないだろう。だからこそ、愛は尊いのだ。
「ルネサンス」とは、フランス語で「再生」「復興」を意味する。日本では文芸復興と訳されている。人間復興と訳すと今の時代にピッタリ。AIが発達すればするほど、人間にできることを追求する必要が出てくる。ポストの「死ぬまで……」も、人間でしかできないことの一つなのかもしれない。
映画や芸術のなかでは、ドロドロした不完全な愛の物語を描くことだろう。そういう、愛も憎しみも含めた、まるごとの人間性を復興する「第二のルネサンス」が来始めているような気がする。
●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に、『死を受け止める練習』『遊行を生きる』。
※週刊ポスト2017年3月3日号