どんなに辛いことがあっても、私は負けない──。神奈川県の林希美恵さん(45才)が、自身の半生を振り返る。
【前回までのあらすじ】
旅先で中国系アメリカ人男性のチャンと知り合い、結婚してL.A.に移住。が、重い腎臓病を患い帰国。半年後、夫から離婚を申し渡された。「教育費と養育費を払えば子供に会わせてやる」と言う夫の要求を受け入れるしかなかった。
〈本稿は、「自らの半生を見つめ直し、それを書き記すことによって俯瞰して、自らの不幸を乗り越える一助としたい」という一般のかたから寄せられた手記を、原文にできる限り忠実に再現いたしました〉
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「カリフォルニアでは半年別居したら、無条件で離婚できるんだよ」
病気の治療のため日本に帰っていた私に、夫は事務的な声で伝えてきました。百歩譲って離婚は仕方ないとしても、なぜ病気の私が子供の学費と養育費を送り続けなければならないのか。
子供たちと話し合って、娘と息子はアメリカに残る方がいいんだと、いったんは納得したものの、いざ1人で日本に帰ってくると、想像以上の寂しさと心細さがのしかかってきました。
悪いことは続くもので、私が実家に身を寄せられたのはわずか1か月。両親が離婚し、家を売ることになったのです。父には父の言い分があり、母は母で逃げ場のない私に口汚く父のことをののしります。
アメリカで子供を失い、日本に帰ってくれば生まれ育った家と両親を失うのか。入院している病室のベッドに横たわりながら、私は死ぬことばかりを考えていました。それでも「ママ、会いたい」とか、「次、いつ会える?」とか、子供たちからは毎日メールが来ます。私が死んだら、この子たちに誰が教育費を払う…。
◆月に必要な35万円はパートでまかなえる額ではない
「お金のないのは、首がないのと一緒」。キャバクラで働いていたバブル期に、耳にタコができるほど聞かされた言葉ですが、医療費の高いアメリカではまさにその言葉通り。実際、あのままアメリカにいて病気を悪化させたら、私はとっくにこの世にはいなかったのです。
約束の送金額は月に800ドルで当時のお金で約10万円。キャバクラ時代の私ならエステと化粧品代で消えた額です。
それとアパートの家賃と生活費、子供たちに会いに行く渡航費の積み立てを加えたら最低でも月35万円。パートタイマーや派遣社員でまかなえる金額ではありません。体調が上向いたある日、私は昔のキャバクラ仲間に会いに行きました。
「キャバはお酒の飲めない体なら月に20万円も無理。30万円以上稼ぐならデリヘルだね。始めるなら一日でも早い方がいいよ」
迷ったらできなくなる。私は翌日、面接に行き、その日から働き始めました。
◆客のほとんどが最後は本番をしようとする