「あのときは怖いもの知らずで、相手を殺すつもりで投げてました」──飄々とした口調で言い放つこの男ほど、短期間で強烈な輝きを見せた野球人は他にいただろうか。
今から24年前の1993年4月後半から7月頭のたった3か月間で、プロ野球史に残る伝説を残す。プロ1年目、テレビ画面でも鋭い変化がわかる高速スライダーを駆使して僅か3か月の間で7勝2敗、防御率0.91という成績をあげ、そのまま肘の故障により戦線離脱。一軍復帰までに3年間の時間を費やした。
だからこそ、ルーキーイヤーの活躍がファンの脳裏に焼き付けられ、“伝説の高速スライダー”と今も語り継がれている。東京ヤクルトスワローズの伊藤智仁・一軍投手コーチ(46)だ。
「1年目から勝っていたので、他の人からアドバイスなどありませんでしたね。いつ打たれるのか、いつ打たれるのかという恐怖を抱えながらも、一方では絶対打たれたくないという強い意志で過ごしていましたね」
朴訥な様子をうかがわせながら少し笑みを浮かべて淡々と話す。ただひとつひとつの言葉には、絶対的な矜持が隠されている。
伊藤が2003年にプロ野球界を引退し早13年。その間、ヤクルトでずっとコーチ(2004~2007年二軍投手コーチ、2008年から一軍投手コーチ)を任されているが、時折取材を受ける時は、必ず1993年のデビュー時の話になった。
かつては「どうしてデビュー時のことばかり聞くんでしょうね」と少し辟易気味だったが、その心境の変化も気になるところだ。
「当時は、プロ野球がまだ国民的スポーツで地上波でも中継をバンバンやっていて、ヤクルト自体、野村(克也)監督をはじめ個性的なキャラクターの選手が多くて人気球団でした。その中で新人ということもあって注目を浴びたんでしょうね。面白いやつがおるなって(笑い)。
僕自身も、あのデビュー時の3か月の試合内容はほとんど覚えてます。反対に、リハビリから復帰してからのことはあまり覚えてないですからね(注:1997年にリリーフとしてカムバック賞受賞)」
むしろデビュー時に関しての質問は喜びさえ感じている様子だ。伊藤も46歳。今季から一軍投手コーチのチーフ格であり、いろいろと経験を重ねたことでより冷静に客観視できる年齢になった。