雑誌のグラビアや写真集ブームが起きた1990年代初頭から、女子プロレス界はセクシー路線に舵を切る選手たちの貴重な人材供給源になっていた。この時代に一気に人気が爆発したのがキューティー鈴木だ。彼女が当時の思い出を振り返る。
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高校を中退して17歳でプロレスデビューしました。普段はスッピンにジャージ姿だった私が、アイドルのような扱いをされ始めて、19歳の時に初めて写真集の撮影を行ないました。
事務所にいわれるがまま飛行機に乗せられ、フィリピンのビーチへ。何をどうしたらいいのかわからなくて、最初は不安だらけだったのを憶えています。
その後、写真集や雑誌のグラビアのお仕事が増えるようになりました。写真家の渡辺達生さんとは10年以上もお仕事をご一緒させていただきました。達生さんの撮影は、ふたりで雑談をしている最中に自然な形で始まり、撮られている意識がないまま、気づいたら終わっているということが多かったです。
他に印象的な撮影といえば、同期の尾崎魔弓との撮影ですね。同じ寮生活でずっと一緒にいたので、色っぽく体を寄せ合ったりするのが本当に恥ずかしくて、「撮影中、絶対に目を合わせるのはやめよう」と打ち合わせをして臨みました。
アイドル扱いされることに当初は戸惑いもあり、プロレス以外の仕事が増えても、リングには立ち続けたいと思っていました。撮影にはいつも試合後に行っていたので、体はアザだらけ。メークさんに全身のアザを隠してもらってから撮影していました。
初めてフルヌードを撮影したのは、13年間のプロレスラー生活に幕を閉じた20代後半。事前にフルヌードを撮るという話はされてなかったんです。この時もこれまでのようなセミヌードの撮影だったのですが、現場やカメラマンさんとの空気感から自然に脱いでいました。
ヌードとプロレスは、「体で勝負」という点では同じだと思います。女優さんやモデルさんのように細くて美しくはないけれど、日頃鍛えた健康的な体で自分を表現したいと思っていました。
リング上の私もカメラの前の私も、どちらも偽りのない本当の自分。ただ、できあがった写真を見て、もうちょっと大胆になればよかったなと反省することはありましたけど(笑い)。
引退後に結婚し、現在は小学生と幼稚園児のふたりの息子がいます。お弁当を作ったりお迎えに行ったりと、子育て中心の日々を過ごしており、運動は何もしていません。これからも機会があれば、いろいろなお仕事にチャレンジしていきたいと思っています。
ただヌードは、ちょっと勘弁してください(笑い)。
※週刊ポスト2017年3月3日号