清水富美加(22才)の幸福の科学出家騒動で、にわかに宗教への注目が集まっている。そこで、日本の新興宗教の歴史とはどんなものだったのか振り返ってみよう。「新宗教」のなかで最も信者数を伸ばしたのが、今や与党の一角を占める公明党の支持母体である創価学会だ。
日蓮の教えを信奉する創価学会は1930年に創立され、戦中は政府に弾圧されたが戦後に再建された。宗教学者の島田裕巳氏は、高度経済成長期、大都市に出てきた人々が入信したことで勢力を伸ばしたと解説する。
田舎の農村から出てきて右も左もわからないまま都会の中小企業や零細企業に勤め、生活は豊かでなく孤独を抱えた人々が、創価学会が会員を集めて開く「座談会」に参加し、創価学会に入ることでいかに功徳を手に入れられたかを発表する。すると他の会員から大きな拍手を送られて、都会で生きていく自信や励みになる。そんな光景が各地で見られた。
これが創価学会の「明」の部分とするならば、その裏側には色濃い「暗」があったと島田氏は指摘する。
創価学会の2代会長・戸田城聖氏が1951年から推進した大規模な勧誘活動「折伏大行進」が、新宗教のネガティブなイメージを生み出したというのだ。
「『折伏』とは、強引な手段を使ってでも、相手を信仰に導いていく布教のやり口です。当時の創価学会の会員は連れ立って未会員の家を訪れ、相手を言い負かして信仰を押しつけることもありました。時には他の宗派、他の宗教施設で折伏をすることもあり、あまりに強引な勧誘にトラブルが多発して、創価学会アレルギーを持つ人が増えました」
高度経済成長期は新宗教にとっても成長の季節だったが、1973年のオイルショックで日本経済が停滞すると、新宗教は新たな展開を迎える。
「経済拡大にブレーキがかかって“信仰で豊かになる”という現世利益の実現が難しくなると、現実の社会が与えるものとは別の価値を与える『新新宗教』が生まれました。このタイプの教団にあたるのが、世界真光文明教団、世界基督教統一心霊協会(統一教会、当時)、エホバの証人、崇教真光などです」(島田氏)
当時は五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』がベストセラーになり、超能力者を自称するユリ・ゲラー氏が来日して、日本中が超能力ブームに熱狂した。こうした時代背景のもとで登場した「新新宗教」の中には終末論や超能力、オカルトなどを売りに信者を増やしたものもあった。終末論の影響で日本の将来に強い不安を抱く信者は、新新宗教が提供する、「手かざし」などによる超常体験に強い安心感を覚えた。
その後、オイルショックを乗り越えた日本経済は上昇に転じてバブル時代を迎える。この時期、2つの注目すべき新宗教団体が台頭した。1つは、今回の騒動の当事者でもある幸福の科学だ。
同教団は、大川隆法氏が1986年に創設した。幸福の科学を長く取材しているフリーライターの藤倉善郎氏が解説する。