1972年、日本大学芸術学部写真学科を卒業後、社員カメラマンとして集英社に入社した中村昇氏。最初に配属されたのが、女子中高生向けファッション誌『セブンティーン』編集部だった。
「『週刊プレイボーイ』で女性の裸が撮りたくて入ったのに、ファッション誌か……と落胆しました。休日は自費で青森から沖縄まで全国の女性を撮りに行き、写真誌に掲載してもらったり、自分の写真展を開いて展示したりしていました。給料のほとんどを作品撮影に費やしていましたね。もちろん会社の了承は得ていましたよ」(以下、「」内は中村氏)
1976年、資生堂『バスボン』のCMでブレイクしたアイドル・松本ちえこと『セブンティーン』の仕事で知り合い、5年間プライベートで撮り続け、写真誌『カメラ毎日』で発表していた。そんなある日、自社で発行していた『月刊PLAYBOY』の編集長が突然、中村氏のデスクにやって来た。
「1980年、20歳になった松本さんの初めてのヌード撮影をするために、グアムに行く予定だったんです。その話を聞きつけたようで、“これを自由に使ってくれ。領収書もいらないから”と50万円をポンと渡され、“その代わり、ウチで発表してくれよ”と言って去っていった。意気に感じましたね」
この写真は同誌の巻頭グラビアを飾り、中村氏初の写真集として世に発表された。
「今も昔も芸能人を特別だと思ったことはありません。芸能雑誌の配属だったらすぐに辞めていたかもしれない」という中村氏の本音とは裏腹に、芸能事務所から中村氏個人への撮影依頼が次々と舞い込むようになる。記憶に残るのは1975年、デビュー3年目を迎えたキャンディーズのシングル『その気にさせないで』のレコードジャケット撮影。分刻みのスケジュールだったキャンディーズ側が連絡してきた日は休日で、中村氏は家族で神奈川・大磯のホテルに宿泊していた。
「テレビ収録後に東京からタクシーで来るというので、大急ぎで準備しました。夜の浜辺で白い衣装が波しぶきで濡れている写真は色っぽいなと思い、大磯ロングビーチで1時間撮影しました。3人で手をつないでもらったんだけど、スーちゃん(田中好子)が波にさらわれてしまって、みんなで急いで助け出しました(笑い)」
メンバーの中でも田中好子への思い入れは強い。
「ぽっちゃりした子がタイプだから、スーちゃんを多めに撮っていたみたいなんですよ。そしたら、“昇さん、私ばかりじゃなくて、ふたりも撮ってください”と注意されちゃってね(笑い)。本当に性格の良い子でした。『セブンティーン』独占で、スーちゃんの卒業式を撮りに行ったこともありました。兄貴のフリをして、カメラをぶら下げて高校に行ってね(笑い)。大らかな時代でしたよ」
※週刊ポスト2017年3月10日号