【書評】『漫画 坊っちゃん』/近藤浩一路・著/岩波文庫 720円+税
【評者】池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)
何であれ名作の漫画化は当節のならいだが、漱石の『坊っちゃん』はすでに九十九年前に漫画になっていた。作者近藤浩一路は東京美術学校(現・東京芸大)で岡本一平や藤田嗣治と同級だった。三十代から四十代はじめまでは、一平と同じように新聞社所属の漫画家として活躍、以後は嗣治と同様にパリに渡り、帰国後は日本画家として生きた。
学んだのは西洋画だが、水墨画を得意とした。その点、まさにピッタリの素材を選んだものである。『坊っちゃん』の世界は、一方は一本気で正義派の坊っちゃんと山嵐、他方は小狡い世間知の赤シャツとのだいこ。白黒二色、中間に灰色の狸のうらなりが浮き沈み。
小説は明治三十九年(一九〇六)の発表で百十一年前の作。同じころ無数の小説が世に出たはずだが、あとかたなく消え失せた。どうして『坊っちゃん』だけがいつまでも新鮮なのか?
浩一路の漫画が一つのヒントになる。この画家は斜めの構図を好んだ。清に見送られて、坊っちゃんが東京を離れるところ、地方町の宿屋の座敷で大の字に寝ころがっているシーン、山嵐と二人して芸者遊びの赤シャツを尾行―─白黒の画像が斜めによぎって、スピーディな動きを伝えてくる。小説の無類のスピード感をあざやかに紐解きした。
むろん、永遠の人間群像がある。赤シャツは今もどこにでもいるだろう。表では人をおだてて裏ではあれこれ画策している。この手の小ボスにすり寄っていくのだいこもとっくにおなじみのタイプである。「…足元に畳付きの、のめりの駒下駄がぬいである」
ゴマスリ型愛用のはきものも絵でわかる。現代だと、品のない細身のエナメル靴といったところか。九十九年前の漫画は今日も変わらないニッポン社会の人間模様であって、しかもいまや狸や赤シャツはどっさりいるが、山嵐や坊っちゃんは一向に見当らない。それにしてもモノクロで、こんなに多彩な絵がつくれるとは、うれしいおどろきである。
※週刊ポスト2017年3月10日号