米田哲也氏が自身の「人生十五番勝負」を振り返る
〈大相撲がはじまると、人生もまた十五番勝負だな、と思う。はたして、いまの私は何勝何敗なのであるか〉〈七十五歳で十五番勝負をするとすれば、五年間が一勝負となる〉──。「人生十五番勝負」という人生観について語った作家の嵐山光三郎氏による「文藝春秋」2月号掲載のエッセイが話題となっている。千秋楽を迎えたら、あなたの人生は勝ち越しか負け越しか。
鳥取県出身《プロ野球部屋》の米田哲也氏(78)は、すでに千秋楽まで戦い終えた。阪急、阪神、近鉄などで19年連続2桁勝利、通算350勝を積み上げた“人間機関車”は、「振り返れば、十一勝四敗です」と、人生の勝負でも2桁勝利だったと胸を張る。
初日は「空襲警報が鳴るたび防空壕に避難し、怖かった思い出しかない」と黒星。そして、二日目から十三日目までの間で、黒星はわずかにひとつ。1977年オフ、39歳(中日)で迎えた現役引退だ。
「記録には誇りを持っているが、引退したということは野球選手として“負け”なんだと思う」
この黒星を除くと、スポーツ万能の少年時代、プロ入り、結婚、リーグ優勝、引退後のスナック経営、解説者生活、コーチとしての日本一、野球殿堂入り、米子名誉市民など、十一の白星を並べてきた。しかし、十四日目と千秋楽は連敗だった。
「その頃になると、野球関連の仕事は名球会イベントの野球教室くらい。まだまだ健康なだけに、寂しいね。野球人は若くして脚光を浴びる喜びを覚えてしまうから、晩年の寂しさは、人生に負けたような感覚になるんですよ」
通算成績が優秀だからこそ、“取りこぼし”をことさら悔いるのかもしれない。横綱級の強さの“力士”にもそれなりの悩みがあるようだ。
※週刊ポスト2017年3月10日号