集英社の社員カメラマンとして勤務しながら、自らの作品を世に出してきた中村昇氏。サラリーマンとしての苦悩、葛藤を乗り越え自ら手繰り寄せたカメラマンとしての地位。定年退職し、やりたいことをやれている今が一番楽しいと語る。同氏は元々『週刊プレイボーイ』で女性のヌードを撮影したかったのだが、結局は女子中高生向けファッション誌『セブンティーン』編集部に配属された。
当初の目論見とは異なるキャリアを歩んだわけだが、中村氏だからこそ実現できた撮影は数え切れない。石田ゆり子、石田ひかりが唯一姉妹として出版した写真集も手掛けている。
「事務所の社長に頼まれて、デビュー前にお姉ちゃん(ゆり子)のプロフィール写真を撮影していたんですよ。そこに妹(ひかり)が遊びに来たら、あまりにかわいいので一緒に撮ったんです。後に妹も女優になったけど、その時はこの写真が世に出るなんて思ってなかったです」(以下、「」内は中村氏)
ふたりのデビュー10周年を記念して1996年、写真集として形になった。
「撮影の最後にひかりちゃんから“どっちが好き?”と聞かれたから、“ひかりちゃんを愛人に、ゆり子ちゃんを妻にしたい”と答えたら、怒っていましたね(笑い)」
1990年代に入ると中村氏は集英社に新設された写真スタジオの管理を任され、社内すべての出版物の撮影に携わるようになる。スタジオ内での撮影が多忙を極めるなか、ロケの依頼にもできるだけ応じた。1996年には後に「バッチリチリ脚」の美脚でブレイクする坂下千里子をフィリピンのセブ島で撮影した。
「道路などの汚い場所で寝転がることを嫌がる子もいるけど、この子は違いましたね。野性的というか。こちらが要求しなくても、自慢の脚を強調したポーズをしてくれたし、自分の魅力をわかっていたんじゃないかな」
50歳になってようやく、念願の『週刊プレイボーイ』編集部に配属される。1999年、デビューから4年が経ち、アイドル風の写真は撮り尽くされていた広末涼子には仰天の提案をした。
「本物のサバイバルナイフを口に入れてもらいました。ものすごく感性の鋭い子だから、鋭い物に合うと思ったんです。綺麗にかわいく写したら、どこかで見たような写真になってしまうと本人に説明したら、すぐに実行してくれましたよ」
※週刊ポスト2017年3月10日号