中国北京市の中心部、天安門広場にある毛主席紀年堂が3月1日から8月末までの半年間、大規模な修理工事のため閉館することが分かった。
中国では近年、知識人を中心に、毛主席紀年堂を毛沢東主席の故郷、湖南省に移転する要望が出されており、「個人崇拝禁止」を標榜する習近平国家主席も移転に同意したと伝えられる。この裏には、「非毛沢東化」を進めることで、逆に、習氏自身の権力の一極集中化を図る狙いがあるとの指摘がなされている。
毛主席紀年堂管理局は2月下旬、突然、3月1日から大規模な修理のため、記念堂を閉館することを発表した。記念堂には地方からの団体観光客が見学に訪れることが多く、これまでの1997年と2007年の2回の大規模修理の際は、閉館は半年ほど前から通知されていた。
今回の場合、わずか1週間前の通知だったため、記念堂が移転されるのではないかとの噂が広まったとみられる。
米国を拠点にする中国問題専門の華字ニュースサイト「他維新聞網」によると、ここ数年、3月の全国人民代表大会(全人代=国会に相当)を前に、知識人を中心に、「改革・開放路線が進展してきたことから、毛沢東主席の評価も変化しつつあり、個人崇拝を助長するような記念堂を北京の真ん中に置いておくことは時代の流れに合わない」といった声が高まっていた。
昨年3月の全人代でも、20人以上の委員が記念堂の移転を提案する署名を提出。これを受けて、習氏の腹心中の腹心といわれる中国共産党政治局常務委員の王岐山・党中央規律検査委員会書記が発起人となって、党政治局会議で記念堂の移転を発議した。その採決の結果、政治局員25人中、23人が賛成、2人が棄権、反対ゼロで可決された。
このため、党指導部内では現在、移転時期を検討しているところだという。そのような時期だけに、修理を名目に、閉館が急に発表されたことで、修理後、記念堂が移転するのではないかとの見方が出てきたというわけだ。移転先は毛沢東主席の生誕の地である湖南省韶山市が有力だという。
これについて、同新聞網は北京の知識人の話として、「習主席は毛沢東を信奉していると伝えられるが、それは権力掌握のポーズであり、逆に『非毛沢東化』を進めることで、自らに権力を集中させて、『第二の毛沢東』を目指している」と伝えている。