今、警視庁管内でもっともキャリアの長い「駐在さん」が、東京の最西部、奥多摩町の奥深い山間部にある青梅署日原駐在所に勤務する前田清志警部補(61)。昨年春に定年退職したが、再任用され、着任してから36年になる。
「駐在さん」とは、駐在所に勤務する警察官のこと。駐在所は交番と同じ機能を持つが、警察官とその家族が住む官舎も兼ねる。地域住民でもあるので親しみを込めて「駐在さん」と呼ばれる。
前田警部補が着任当時の人口は134世帯、462人。集落の人の苗字はおもに4つしかなく、屋号で呼び合う。「顔と名前と屋号を覚えるのに数年かかりました」と振り返る。今でも駐在所のカレンダーには住民の誕生日、記念日や故人の命日を書き込み、5年日記に日々の出来事をメモしている。
通常業務以外の突発的な仕事は山岳事故への対処。今もある石灰岩の採鉱工場で昔は多くの労働者が働いていたため喧嘩も起こり、その仲裁も大事な仕事だった。
人口は今、57世帯、98人。60代以上が中心で、10代、20代は一人もいない。毎朝、バス通学している小学生の姉弟が駐在所に寄るので、100メートル先のバス停まで付き添って、バスに乗るのを見送る。それが前田警部補の行なっている学童整理だ。
「時間通りに子供が来ないと、風邪でも引いたのかなと心配になりますよ。小学校の行事日程が私にも知らされ、テストの日もわかるので、『大丈夫か?』などと話しながらバス停まで送ります」
高齢者の人から「財布がなくなった」と電話が掛かってきて、家で見つかりほっとすることもある。集落の人には自分で救急車を呼ぶことに抵抗があるのか、体調が悪くなるとまずは前田警部補に電話し、119番を頼む。
10年前、大病をして3か月ほど入院したときには、集落の人が寄せ書きをくれ、「駐在さんがいないと困る」と言ってくれた。
「私の定年も知っていて、『ここに残ってください』と言われました。そんなふうに頼りにされるのがやり甲斐」
着任時に25歳だった前田警部補も今は61歳。2人の娘はすでに集落を出て独立している。集落の歴史とともに人生を歩んできた。体力の許す限り65歳まで再任用してもらい、「駐在さん」人生を全うするつもりだ。
●撮影・太田真三
※週刊ポスト2017年3月17日号