【書評】『すばらしい新世界[新訳版]』/オルダス・ハクスリー・著/大森望・訳/ハヤカワ文庫/800円+税
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
いま米国ではオーウェルの『1984』が売れに売れている。トランプ大統領顧問の「オルタナティブ・ファクト」という独自の造語の使い方が、近未来の管理社会を描いた同作を彷彿させたためだ。スノーデン事件を機にじわじわ売れていた同書は、売り上げがいっきに9500%増になり、同時にトップセラーに躍り出たのが、ハクスリーの『すばらしい新世界』である。
日本でも、これらのディストピア小説は特定秘密保護法案が持ちあがった頃から読者を増やしていたが、ここに来て、米国新政府や自国の「共謀罪」への不安なども相まって勢い注目されている。翻訳文学が売れるのは嬉しいものの、気持ちは複雑だ。
さて、ちょうど『すばらしい新世界』の新訳が出たので再読。物語の舞台は、西暦二五四〇年にあたる頃だ。巨大な世界国家ができあがり、テクノロジーの進歩を享受する「すばらしい新世界」が出現している。
まず、生殖はすべて性交を介さない体外受精でなされ、乳児は製品のように瓶に入れて扱われ、「父」「母」なんていう語は、もはやわいせつ語に近い。多胎児として何十人もが生まれ、才能や素質を予め割り振られている。階層も細かく分けられているので、むしろ格差は感じず、みんな幸せ(のはず)。
さまざまなものがじつに的確に予言されている。感覚映画というのは、ヴァーチャル・リアリティ式の映画だし、ソーマという合法ドラッグみたいな薬を飲めば多幸感爆発(これを「ソーマの休日」という)、セクハラを社交と称する上司がいたり、若いうちは不特定多数とのフリーセックスこそが健全とされたりする。ここに登場するのは、ただひとり、母の子宮から生まれた「野人」だった。
暴力も戦争も病死もない代わりに愛もないこの社会は、はたして幸福なのか──? 1932年に刊行されたこの小説にインスパイアされて無数の作品が生まれたのだが、いま見ると、本作の方がむしろ若手作家が書いた最新作に見えるからびっくりである。
※週刊ポスト2017年3月24・31日号