映画業界が斜陽になり、テレビから新たなスターが出現し始めた1970年代、月刊誌『近代映画』(1945年創刊、1996年『Kindai』に改題、2009年休刊)は邦画誌からアイドル誌へ路線を切り替えた。
既に『平凡』『明星』がアイドルに特化していた時代。グラビアでは肌の露出が制限される中、『近代映画』は小道具などを使っていかに面白い写真を撮るかに知恵を絞った。
『近代映画』から派生した別冊の写真集を3冊も出版した早見優が話す。
「私は、野球のバットやバスケットボールを持ってよく撮影しました。スポーツが得意というイメージでいきたかったのかな。スケボーは乗れましたが、球技は不得意なんです。肌が焼けていたので、衣装は映える黄色を中心に選んでくれたのだと思います。だから、レモンも噛んだのかな(笑い)」
アイドルに木登りさせることもあれば、手製のブランコを木に取り付けたこともあった。レコード大賞の新人賞を狙っていた岩崎宏美には願掛けのため、白装束を着させて白糸の滝に打たれる姿を撮った。
人気企画の1つに、『全身解剖』というコーナーがあった。堀ちえみの全身イラストの横には、スリーサイズや靴のサイズなどに加え、〈虫歯 奥に2~3本治療済で~す〉という事柄から、〈デベソではありませヌ〉〈水虫ナシ〉と敢えて書く必要のなさそうな情報までが網羅されていた。1970~1987年まで編集に携わった高野光生氏が語る。
「そういうページを作るとは伝えますが、原稿や写真を見せることはなかった。出版後、『水虫ナシなんて余計なこと書かないでよ』といわれたこともありません(笑い)」
日頃から信頼関係が築かれていた証拠だ。昨年、過去に掲載した記事をまとめた特別復刻版を出版した大場久美子はこう話す。
「テレビの収録も地方のコンサートも、常に付いてきて、食事も移動も一緒。秘密はちゃんと守ってくれるし、決して裏切らない。安心して話のできる家族のような存在でした」
空前のアイドルブームが巻き起こった背景には、芸能事務所と手を組み合って、アイドルの魅力を引き出そうとする『近代映画』の熱意があった。
■写真/『別冊近代映画早春号 大場久美子スペシャル』(1979年)より
※週刊ポスト2017年3月24・31日号