【書評】『毛の人類史 なぜ人には毛が必要なのか』/カート・ステン著/藤井美佐子訳/太田出版/本体2400円+税
【著者プロフィール】Kurt Stenn(カート・ステン)/米国イェール大学教授(病理学、皮膚科学専攻)を経て、アデランスがアメリカに設立した研究機関アデランス・リサーチ・インスティテュートの研究担当副所長及び最高科学責任者に就任。長年、毛髪研究の最先端に従事している。
長年、「毛」について研究してきたアメリカの科学者が、科学的、文化的視点から毛が人類に果たしてきた役割を一般の読者向けにわかりやすく解説した本である。
本書によると、進化の過程でほ乳類は全身を覆う毛を獲得し、風、水、虫、寒さなどから体を守れるようになった。ところが、ヒトの脳組織は体温の上昇の影響を敏感に受け、体温が40度で熱中症に、42度で脳死状態になる。そこで体から熱を放射しなければならないが、全身を覆う毛がその邪魔をする。だからヒトは脳を守るために体毛が薄くなった、というのだ。
また、まだ仮説だが、ヒトは体毛が薄くなることで家族を獲得したという。チンパンジーならば、子供は自力で母親の体毛を掴んで背中に乗っていられるが、「裸のサル」であるヒトではそうはいかず、母親はいつも子供を抱えている必要があり、食糧を手に入れにくい。そこで父親がその役割を担うようになり、核家族という単位が形成された、というのだ。
一方、文化的に見ると、毛は人間らしさの象徴と捉えられてきた。それゆえ、逆に人間性を奪うために文字通り毛が奪われた。ジャンヌ・ダルクもマリー・アントワネットも死刑に処せられる前に頭髪を剃り落とされ、アフリカからアメリカ大陸に移送された奴隷も頭を剃られた。アウシュヴィッツに収容されたユダヤ人も同様で、頭髪だけでなく体毛も剃られ、アウシュヴィッツ解放後、実に7トンもの人毛が見つかったという。
本書にはそんな興味深い話が数多く紹介されている。普通は個人的な悩みの種でしかない毛が、人類の誕生、進化にも関わる重要な器官であり、また極めて高い社会的メッセージを持つことがわかる。
※SAPIO2017年4月号