【書評】『青年の主張 まなざしのメディア史』/佐藤卓己・著/河出書房新社/1800円+税
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター教授)
かつて、『青年の主張』というNHKのテレビ番組があった。テレビでの中継がはじまる前は、ラジオをつうじて放送されている。一九五〇年代から八〇年代までつづいた、看板番組であった。ながされたのは、毎年やってくる成人の日。大晦日の紅白歌合戦と同じで、年一回にかぎられた。
まだ大人になりきれない若者が、世の中への想いや自分の夢を、マイクにむかってうったえる。彼らの演説を聞いて、審査員が順位をつけていく。放送を前提としたそんな催しが、三〇年以上つづけられてきた。
著者はそれらのスピーチに耳をかたむけ、時代による変化をさぐっていく。戦後の心性史を、『青年の主張』がへてきた歩みから、ひろいだす。歴史社会学の読みものにほかならない。
知的にとんがった人びとの言説をあつめてならべる思想史とは、趣向がちがう。はたらきはじめたばかりの青年たちが、各時代毎に何をどう考えていたのか。そこへ目をむけたところが、おもしろい。
最初は、農村で労働にいそしむ青年の声が、クローズアップされていた。あるいは、中学卒業とともに都会へおもむき、仕事についた青年の声が。しかし、時代が下るにつれ、「主張」の舞台に登壇する若者の質はかわりだす。身体障害をかかえた人、職場では劣位におかれやすい女性……というように。
もちろん、そうした推移の背後には、社会の変化がある。しかし、その点だけではなく、著者はテレビ・ソフトとしてのあり方に、分析の目をそそぐ。どういうスピーチをうつせば、今は絵になるか。視聴者の情感をあおれるか。テレビマンたちのそういう思惑からも、けっして目をそらしていない。
『青年の主張』は、はやくから若い人たちにそっぽをむかれだしていた。おそくまで見つづけたのは、中高年世代である。彼ら老いた視聴者に感動される青年像を、どう演出していくか。テレビ側のそんな作為へわけいったところは、とりわけ興味深く読めた。
※週刊ポスト2017年4月7日号