日本プロ野球だけでなく、米メジャーリーグでも台湾出身選手の活躍が目覚ましい。九州と同程度の面積の小国から、なぜ才能が続々輩出されるのか。約1世紀前、野球文化の「種」を蒔いたのは日本人だった。ジャーナリストの野嶋剛氏がリポートする。
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多くの場合、取材の取っ掛かりは、小さな疑問から始まる。台湾映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」は、2015年に日本で上映され、人気を集めた。台湾南西部の高校野球チーム嘉義農林(以下KANO)学校が甲子園初出場準優勝という旋風を巻き起こす実話に基づくストーリーだ。
KANOには複数の台湾先住民選手が登場する。先住民は中国大陸から漢人の移民が活発化する以前に台湾にいた人々で、日本統治下の台湾では「蕃人」、のちに「高砂族」と呼ばれた【*注1】。
【*注1:蕃人は差別的な意味を含むため、のちに「高砂族」と改名された。戦後の台湾では「原住民」と記述する(日本語訳は「先住民」)。現在、人口比で2%のおよそ50万人おり、政府から独自の言語、文化を有すると認定された16部族に分かれる】
KANOは決勝で中京商に敗れたが、「日本人、漢人、蕃人」の混成チームであることが、当時の日本社会で大きな話題になった。KANOを率いた日本人監督、近藤兵太郎が語った名セリフが、映画でもクローズアップされた。
「蕃人は足が速い。漢人は打撃が優れている。日本人は守備に長けている。こんな理想的なチームはない」
ただ、私はどこか腑に落ちなかった。嘉義など台湾西側に暮らす先住民は多くない。詳しく調べてみると、KANOで活躍した先住民選手の多くは西側でなく、台湾山脈を越えて、遠く離れた東側の先住民・アミ族だった。その点を論考した本や記事は日本どころか台湾でも見つからない。KANOに先住民がいた理由はスルーされていた。
もう一つ、気になる情報があった。日本プロ野球で活躍する台湾選手・陽岱鋼のことだ。彼も、KANOの選手たち同様、台東のアミ族である。偶然の一致か、あるいは、KANOと陽岱鋼をつなぐ点と線を結べるのか。