明治維新150 年が来年に迫り、各地で観光客誘致の取り組みが進んでいる。そうしたなかで、維新の精神的指導者といわれる吉田松陰の形見の品を巡り、思わぬ騒動が持ち上がった。
群馬県の前橋文学館で、3月31日から5月7日まで、「吉田松陰の形見の短刀」が公開されている。公開に先立つ3月28日の前橋市の発表を受け、各紙に〈松陰の短刀、本物だった〉(東京新聞、3月29日付)、〈吉田松陰の形見と判断 昨年、前橋市に寄託の短刀〉(朝日新聞群馬版、4月2日付)などの見出しが躍った。展示初日には県内外から約200人が訪れたという。
「前橋市によれば、短刀はもともと初代群馬県令・楫取素彦(かとりもとひこ)の妻である松陰の妹・寿(ひさ)が持っていたもので、群馬出身の実業家・新井領一郎が1876年に渡米する際に渡されたものだそうです。米カリフォルニア在住の新井の曾孫の家に残っていた短刀が昨年、前橋市に寄託され、今回の発表に至った」(地元紙記者)
長州藩・萩で松下村塾を開いた吉田松陰は、1859に安政の大獄で斬首された。その形見となる短刀の存在を示す史料としては、新井領一郎の孫であるハル・松方・ライシャワー(元駐日米国大使夫人、故人)が1986年に出版した『絹と武士』(訳・広中和歌子、翻訳版は1987年出版)がある。同書は新井が短刀を受け取った際の様子をこう記す。
〈彼女(注/松陰の妹・寿)はこの品に兄の魂がこめられているのです、その魂は、兄の夢であった太平洋を越えることによってのみ、安らかに眠ることができるのです、と語った〉
新井はその短刀を携えて海を渡った。そして、史料の著者である孫・ハルは短刀について〈国富(くにとみ)という銘が入った美しいものであった。長さおよそ三十五センチぐらいで、鞘は金細工を施された漆塗りであった〉と書き残している。
ところが、である。今回、“本物”と発表された短刀と、この史料の記述が食い違いだらけなのだ。