プロ野球が開幕し盛り上がりを見せるなか、清原和博氏(49)はユニフォーム姿でなく、喪服で悲しみに暮れていた。4月11日、愛知県で営まれた友人A氏のお通夜会場に姿を見せた清原氏。上着のボタンがはじけ飛びそうなほど窮屈な喪服は、サイズが合っていなかった。読経した僧侶が語る。
「故人は交友関係が広く、ご遺族から事前に清原さんや昨年世間を騒がせた歌手が来るかもしれないと聞いていました。戒名には『清』の名を入れていますが、ご遺族から“故人が慕っていた清原さんの名前を入れてほしい”という願いを受けてのものです」
東京・六本木で飲食店を経営していたA氏は、清原氏が西武に在籍していた頃からの飲み仲間だった。
「Aさんは亡くなる前日、朝まで飲んでいて恋人と電話で口論になったそうです。その後、彼女が彼の様子がおかしいことに気付き、友人とともに彼の自宅に駆けつけたのですが、手遅れだったようです」(A氏の友人)
昨年2月、清原氏が覚せい剤取締法違反で逮捕されると多くの友人が彼の元を去ったが、A氏だけはその後も清原氏と行動を共にしてきた。“後見人”とも呼ばれた唯一の理解者の死に、清原氏は大きなショックを覚えたようだ。清原氏はA氏の支援を受けて再起を誓い、立ち上がったばかりだったという。
「去年8月、キヨさんの高校時代を特集したスポーツ誌『ナンバー』が発売されると、キヨさんは“みんなに配るで!”と約30冊も購入し、Aさんと泣きながら読んでいました。Aさんはずっとキヨさんの生活を支援していて、キヨさんもそれに応えるように社会復帰を目指していた。
最近スポーツジムに通い始めたキヨさんは、個人レッスンではなく、他の人の目に触れるオープンな場所でやっています。“人の目に慣れるのが大事なんや”と言っていました」(清原氏の友人)