金閣寺(鹿苑寺)と銀閣寺(慈照寺)の両寺で住職を務める「仏教界の大重鎮」、臨済宗相国寺派(※仏教の宗派の1つ。1392年に臨済宗の禅僧・夢窓疎石が開き、禅宗文化を広めた)第7代管長の有馬賴底(らいてい)師(84)が、『人生は引き算で豊かになる』(文響社刊)を上梓した。特別養護老人ホームなどを運営する社会福祉法人の理事長でもある有馬師は、死が迫った人々の話に耳を傾けながら、説法で彼らの心を和らげてきた。有馬師に死の迎え方を聞いた。
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〈我々は残された日々をどう心がけて生きていくべきか。有馬師は『維摩経』の中にある「直心是道場」という言葉を紹介する。〉
「直心」とは、何の疑いも持たない真っ直ぐな心。つまり、その真っ直ぐな心こそ仏道場である、という意味です。どんな環境、どんな相手だろうと、自分自身が素直であれば、そこからいくらでも成長できると説いている。
人は恵まれないことを環境のせいにしがちです。しかし「直心」がなければ、どんなベストな環境を与えられてもうまくいくことなどありえない。境遇に文句を言いたくなった時は「今の私は直心を失っている」と思い出してほしい。
老境に入れば、大事なのはお金でも地位でもなく「精神の拠り所」です。それは本を読むことでも、掃除でも構わない。
この前、私どもの施設に101歳で亡くなられたおばあちゃんがいたんです。彼女は「洗濯物を全部私のところに持ってきてください」と施設の人間に申し出て、朝から晩まで洗濯物を畳み続けた。それを亡くなる直前まで続けられた。そういう淡々とした「何にも意味をもたない日常」にこそ真の平静があるのです。