出生届が今ほど厳密に扱われなかった世代には「2つの誕生日問題」を抱える人が少なくない。90歳を超えてなお現役で舞台に上がり、アドリブの連続で観客を沸かせ続ける内海桂子師匠。“100歳まで現役”を公言しており、戸籍上の生年月日は「1923年1月12日」だ。つまり100歳になるのは2023年……かと思いきや、「この世に生まれてから100年が経つのは、その4か月前なんですよ」と明かす。一体、どういうこと? 本人が語る。
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私は今でいう“駆け落ち”の親から生まれた子なんです。当時、両親はどちらも20歳。2人とも東京生まれの東京育ちなのに私を生んだのは遠く離れた千葉県の銚子だったので近所に親身になって相談に乗ってもらえるような人がいなかった。それだからか、大正11年(1922年)9月12日に私が生まれても役所に届けることを忘れていたみたいです。
後になって事情を聞くと、それも仕方なかったのかもしれません。
私が生まれた直後、女房と子供を食わせるために、父親は銚子から神奈川県の鶴見に働き口を探しに行きました。ところが行ったっきり連絡が取れなくなり、そうこうしているうちに年が明けちゃった。
当時は、役所に出生を届け出ると、ミルクが支給されたそうですね。生活に困っていたのは間違いないから、母親はミルクがもらえると聞いて慌てて届け出たんでしょう。実際に戸籍を見ると、届けを出したのは大正12年(1923年)の4月だけど、出生日はその年の「1月12日」になっていた。そのあたりの事情は、よくわかりません。ただ、出生届を巡るドタバタは当時、母親が女手ひとつでなんとか私を育てようと奮闘してくれた証だと思っています。そういう時代だったんですよ。