2015年秋、インドネシア高速鉄道の受注を日中で競い合った。日本は、最終盤で逆転され、中国案に決定。手痛い敗北となった。それから1年半。受注決定直後にもインドネシアを訪ねたノンフィクションライター・水谷竹秀氏が再び現地入りすると、意外な光景が待ち受けていた。
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新緑の茶畑が広がる砂利道を車でひた走ると、赤土がむき出しになった敷地が左手に見える。周囲に張り巡らされた立ち入り禁止のテープは、以前に比べて色褪せていた。近くにあったゴム林は伐採されて跡形もなく、整備された赤土には重機の轍が残っていた。
1年前とほとんど変わっていない……。
ここはインドネシアの首都ジャカルタから南東に約120kmの西ジャワ州ワリニ。ジャカルタと商業都市、バンドン(143km)を結ぶインドネシア高速鉄道事業の現場をおよそ1年ぶりに再訪した、4月11日のことだった。轍を頼りに車で1kmほど奥へ進むと、切り開かれた広大な山肌が前方に現れ、ショベルカー3台、大型トラック4台が稼働していた。現場監督のインドネシア人男性が状況を説明してくれた。
「ここに駅を作るため、3カ月ほど前から整地作業を行っています。作業員約30人で朝から夕方まで。毎月1回程度のペースで中国人数人が、進捗状況の確認に車でやって来ます」
現場周辺にコンクリートや鉄鋼などの資材は見当たらない。ショベルカーがひたすら赤土を掘り起こし、トラックの荷台に運んでいるだけだ。現場監督は続ける。
「この整地作業を終えてから建設し始めるので、駅の完成がいつになるのかといった先のことまでは分かりません」