映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、映画『家族はつらいよ2』で熟年離婚の危機を乗り越えた夫婦の妻を演じる吉行和子が、劇団民藝を辞めてアングラ系の芝居に加わり、42歳で大島渚監督の『愛の亡霊』出演に至るまでを語った言葉を紹介する。
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吉行和子は1969年に劇団民藝を離れ、一転して唐十郎ら反体制のアングラ系の演劇人たちとの芝居に参加していく。
「民藝とまるで違うことを皆さんやっていました。観にいくと、凄く惹かれるものもありました。そんな時に早稲田小劇場の鈴木忠志さんから、唐十郎さんが書いた『少女仮面』という台本が送られてきて。その時に本当の扉が開いた気がしました。私の気持ちは止まらなくて、劇団に『辞めます』と言いました。そこから初めて、芝居が面白いと思えるようになったんです。
劇団にいると、先輩たちから常に試験されているみたいなものですから、楽しいと思えることはありませんでした。一つ終わると何とかパスして、また次へ。民藝以外で何かするということを考えていませんでしたから、この劇団でちゃんとした役者にならなきゃということしか頭にありませんでした。いつも気持ちが窮屈だったんです。それが今度は何でもありの世界ですから。毎回刺激が凄かった。
劇場もそうです。今までは大きい劇場できっちり稽古した芝居を観ていただく、というのがあったのですが、今度は劇場が小さい。それだけで興奮しちゃうんですよね。今までは『お客さんがじっと観ている。だから、ちゃんとやらなきゃ』みたいな、客席との隔たりを感じていたのが、近くで一緒にやっていると思えるようになりました。それに乗っかって、何か自分の力じゃないものも出ちゃうんです。お客さんと一緒に芝居を作る、そういう面白さがあると知りました。それで段々と『私はこんなに面白い仕事をやっている』と思えるようになったんです」