永代供養墓とは本来、「継承を前提としないお墓」を指すという。お墓を継ぐ人が途絶えても、お寺が続く限り、文字どおり「永代にわたって供養される」というお墓だ。
しかし、その詳細について知る人は意外と少ないのではないだろうか。そこで、ノンフィクションライターの井上理津子氏が実情に迫った。
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永代供養墓は、地方から出てきた人たちの多い都市部に限った需要かと思ったが、そうではなかった。
新潟の市街地から南西へ25kmほどの海辺の小さな町、旧巻町(現・新潟市西浦区)に、全国に先駆け1989年に風変わりな永代供養墓を設けて以来、人気を集め続けているお寺があるとの情報を得て、向かった。
新潟駅から3両編成の電車がゴトゴトと走るJR越後線に乗ること20分。内野駅で降り、タクシーを使う。「日蓮宗妙光寺へ」と告げると、「あなたもお墓の見学ですか? 妙光寺に(お客を)送るのが多いんです」と運転手さんが笑った。
20分ほどで、松の木々が風流に枝を伸ばす広い境内に入る。円錐形の造形物がちらちら見えてきた。「安穏廟」という名のお墓群だった。
迎えてくれた妙光寺住職の小川英爾さん(64才)に、さっそく案内してもらう。
妙光寺は1313年創建の古刹。境内は5000坪もある。森の中へと進むと、ウグイスの鳴き声がした。芝生に敷石された広々とした広場に、直径約2mの8角形の墳墓30基が並んでいた。形がなんともユニークだ。外側を、個別に仕切られた8つのカロート(納骨スペース)が囲んでいる。それが、今空きが5区画のみになったという最新型のお墓だった。お値段は?
「カロート1区画に、骨壷なら3体、布袋等なら3体程度入り、何体入れても85万円です」と小川住職。
地方とはいえ安いなあ、と思った。
「人生・万歳!!」
「明るく美しく 永遠の道に臥す」
「セ・ラ・ヴィ」
「向日葵のように」
「後の世も二人静かにこの里で」
墓碑板に掘られた、個性的な言葉が微笑ましい。少し歩くと、108のカロートが取り巻く、直径20m弱の円墳が4つ。初代のものだという。丸みを帯びて剪定された低木がびっしり植わり、てっぺんに宝塔が建つ。こちらもユニークだが、経年によって木々がどっしりと根を下ろし、カロートの表面の石も落ち着いた色味を帯びている。ひとしおの風格だ――と見入りつつ、肝心の質問をする。