文豪・永井荷風(1879~1959)の人物像を知らしめたのが、『ビッグコミック』の人気連載『荷風になりたい 不良老人指南』(原作/倉科遼、作画/ケン月影)。週刊ポスト5月29日発売号では、同作のフルカラー8P特別編を掲載している。生涯をかけて花柳色町の世界をテーマにした荷風が最も愛したのは誰だったのか──その謎に迫る。
荷風は代表作『ボク(サンズイに墨)東綺譚』と、大正6年から昭和34年まで40年以上にわたって書き継いだ創作まじりの日記『断腸亭日乗』で、日本の文学史に大きな足跡を残す作家である。内務官僚の父と高名な漢学者の娘である母のもと、裕福な家庭に育ち、当時の日本人としては珍しく私費留学の形で欧米に滞在。30歳手前で帰国すると、漢文調の美文で「風俗」を描く小説家として、文壇の枠を超えて注目された。
このとき、荷風の才能を賛美する声と同時に非難する向きもあった理由は、荷風が「ただのフィクション」として作品を書くのではなく、いわゆる「私小説」を書き続けたからだった。たとえば『ボク東綺譚』は、小説家の主人公と娼婦の出会いと別れを描いた作品で、他にも『貸間の女』、『つゆのあとさき』など、荷風作品で重要な役割を担う娼婦たちには、すべてモデルの存在が指摘されている。
そして荷風その人も作品世界の通り、私娼窟、カフェ、芸者遊びに没頭する生涯を送った。「色の道」を極めるだけでなく、「色の道」を芸術にまで昇華した文人だったのだ。