現在公開中の映画『帝一の國』で、あるシーンが話題になっている。菅田将暉(24才)演じる主人公・赤場帝一が出馬した高校の生徒会長選の終盤。千葉雄大(28才)演じる森園億人が自分を「井の中の蛙だ」と自嘲するのに対し、現生徒会長の木村了(28才)演じる堂山圭吾がこのことわざの“意外な続き”を用いて森園を励ますのだ。その言葉とは、
「されど空の深さを知る お前はもっと上に行けるよ」
というものだ。これに対し、《まったく知らなかった》《思わず膝を打った》と、SNS上では本編そっちのけでこの場面に言及する書き込みが溢れている。実はこれ以外にも世の中には一部分だけが広まっていることわざがたくさんある。
それにしてもなぜ一部分だけ知られていることわざがこんなに多いのだろうか。ことわざ学会代表理事の北村孝一さんは、部分的に広がることわざには2つのパターンがあると指摘する。
1つは、“時代を経るに連れ、長かったことわざが短くなる”パターンだ。
「例えば『あばたもえくぼ』は『惚れた欲目にあばたもえくぼ』ということわざが短くなったもの。世の中に広く知れわたったことわざは、なくても意味が伝わる部分が省略される傾向があります」
このパターンには、日本語やことわざの特徴も関係すると北村さんが続ける。
「ヨーロッパの言語と違って日本語は主語などを省略しやすいという特徴があります。日本語はきちんとした文章よりも、イメージを相手に伝えることを重視するため、長い言葉をコンパクトにすることが多いんです。また、ことわざは文字ではなく口伝えのため、短くて印象的な部分が後世まで残りやすいという面もあります」
もう1つは、“後から付け足す”パターンだ。
「例えば『旅は道連れ』ということわざには、後から『世は情け』が付け加えられました。こういう場合は、語呂合わせやユーモアを加えることが多いですね。また『油断大敵・火がぼうぼう』のように、昔の人がいろはカルタで遊ぶ際、子供が取りやすいように絵札を表す言葉をくっつけた例もあります」(北村さん)
後から付け加えられる言葉は時代や地域によって異なる。ことわざにも“ご当地バージョン”があるのだ。