前都知事・舛添要一、68歳。気鋭の国際政治学者として華やかに登場し、政治家に転身すると厚労大臣を経て、都知事まで上り詰めた。そしてよもやの転落。1年の謹慎を経て、前都知事は、いま何を思うのか。沈黙を破って『都知事失格』(小学館)を上梓した舛添氏に、石原慎太郎時代から都政を取材してきたジャーナリスト・青木理氏が訊く。
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舛添氏が推し進め、異様な反発を引き起こしたのが韓国人学校をめぐる問題だった。生徒数が増加した学校増設のため、新宿区の都有地を貸し出す方針を打ち出したところ、右派系のメディアや団体の総攻撃にさらされたのである。
「朴槿恵大統領(当時)と会談した際に依頼されたのですが、議論を呼ぶ可能性があったので慎重に進めました。地元の町内会の了解も取り、区長にもお願いをし、日韓首脳会談(2015年11月)ができることになったから方針を表明した。ところが一部新聞などが猛批判をはじめ、右翼が私の家まで街宣にくるようになってしまった」(舛添氏)
巷にはびこる嫌韓・嫌中の風潮が作用したのだろう。右派メディアが盛んに煽り、騒ぎは燃え広がった。だが、実におかしな騒動だったと私は思う。日韓両国の過去の歴史を知り、きちんとした良識を持つ者なら、保守派だって異議を唱えるはずがないからである。