次の世代のために種をまきたい――そんな思いを持つからこそ、将来に見込みがあり、頑張る人への援助を惜しまない。そんな評判が広まり、高須クリニックの高須克弥院長の元には、毎月数百通もの手紙が届く。「大学の相撲部に練習用の土俵が欲しい」「シングルマザーだけど学校に通いたい」などなど、願いは幅広い。昨年のリオ五輪ではサッカーナイジェリア代表に約4000万円を寄付したことでも有名だ。
「ぼくが助けたいのは頑張っている人。時々、かわいそうな動物のために寄付してくださいってお願いがくるけど、それはまったく興味がない。ペットも家族だっていうけれど、確かに心情的には家族のようなものかもしれない。けれど、動物を助けてあげようという気にはならない。なんて冷酷なやつだっていわれるけど、人間の方が何倍も大事です。いや、比べようがないですよ、人間と動物と」(高須さん、以下「」内・同)
今年の秋にはノーベル平和賞ならぬ、『高須平和賞』を創設予定だ。受賞者第1号は、チベット亡命政府のロブサン・センゲ首相。第2号にはアメリカの俳優、リチャード・ギアがノミネートされている。
「第1号のロブサン・センゲ首相にはもう連絡していて、喜んで受け取ると言ってくれているの。ダラムサラに行って授賞式をやるんだけど、きっとダライ・ラマも出て来るよ。でも“あなたにはあげない。こちらにあげます”ってね。ダライ・ラマには何回か会ったことがあるの」
高須さんは今年72才になった。死に方について、最近、よく考えるという。
「日々生きていて、“ここが死に時だなぁ”と思う時が、いくつかあるんだけど、結局、生きちゃうのよ。熊本地震の時、孤立無援の被災地にヘリで物資を運んだの。物資を届けた帰り道、これは最高の死に時だと思った。死に時ってね、あるんですよ。ここで死ねたらいいなって。
でもそこで少し欲を出すとね、晩節汚すの。だからね、気が狂って選挙に出る! ってぼくが言い出したら、(恋人の)西原理恵子に暗殺してねって頼んでるの。苦しまないように、わからないように暗殺してくれって(笑い)」
高須さんは、人生を3期に分けられるという。第1期は40年前、事業を拡大させようと必死で働き、税務をスタッフに任せきりにしていたところ、所得税法違反の罪になり、医師免許停止に追い込まれた。前科一犯…医者として働くことに生きがいを感じていた高須さんにとって、死んだも同然だった。
それでも日本でダメなら海外へ――不屈の精神で免停の間、海外で施術を行った。その高い技術が評価され、2000年には国際美容外科学会の会長に就任した。これが第2期だという。美容外科の発展に力を尽くした時期だった。
そして今、第3期の人生を共に歩むパートナー、「西原理恵子さんのいちばんのファン」と高須さんは言う。インタビュー中、隣の部屋では西原さんが『高須平和賞』のメダルの下書きをしていた。
撮影/菅井淳子
※女性セブン2017年6月22日号