歴史認識を巡って近隣諸国との諍いが絶えない。だが、それは今日に始まったことではない。昭和天皇の崩御を契機に、戦後日本の宿題が顕在化し始めた。同時期、国内政治では、五五年体制の終焉という大きな節目を迎えている。田中角栄氏が亡くなり、五五年体制が終焉した平成4~5年について、作家・佐藤優氏と慶應義塾大学法学部教授の片山杜秀氏が語り合う。
片山:平成は、昭和には露わにしないで済ませてきた戦後日本の歴史的課題が表立った時代と、捉えられるでしょう。そこには昭和天皇の崩御も大きいと思います。触れにくかったことに触りやすくなったということですね。
今上天皇は、平成4年に中国を初訪問し、その翌年には沖縄を訪れています。昭和天皇にとっては生々しすぎた中国と沖縄という戦後問題に向き合う実践の始まりです。また平成3年の雲仙普賢岳の噴火でも被災者をお見舞いした。
天皇の公的行為はどこまで認められるか。憲法上の規定もなく曖昧ななか、今上天皇は、その公的行為を非常に大胆に拡大して運用してきた。平成という時代は、小泉純一郎や安倍晋三もですが、今上天皇の思想と行動によってかなり特徴づけられると思います。
佐藤:今上天皇の個性や思想と結びつくからこそ、個性を離れたときにどうなるか考える必要があります。
片山:「ポスト平成」の問題ですね。天皇が退位すれば、近代の天皇制が想定してこなかった前天皇が生きて存在することになり、皇室典範とともに日本の構造も変わるでしょう。