5月場所後に大関昇進を果たした高安は、出世に合わせて四股名を変える力士が多いなか、本名の高安(晃)のまま土俵に立つ意思を明らかにしている。その“決断”が波紋を広げている。若手親方の一人が語る。
「高安は歴代87人目の大関だが、昇進後も本名四股名を使い続けるのは長い大相撲の歴史のなかでもまだ4人目です。これまで本名を使ったのは輪島、北尾、出島。輪島はともかく、出島は大関止まり、北尾は横綱昇進時に双羽黒に改名したものの、トラブルを起こしてたった9場所で引退した。角界はゲン担ぎを重んじる。高安も四股名をつけるべきでは……」
角界のご意見番、北の富士勝昭氏も千秋楽のテレビ解説で本名のままの昇進について「親方たちもこだわらなくなったのかねぇ」と寂しそうに嘆いた。
協会が厳格なルールを定めているわけではないが、「関取になる際には本名でない四股名にするのが慣例」(協会関係者)だといい、高安の兄弟子である横綱・稀勢の里が「萩原」から改名したのも十両昇進時。来場所に新十両となる追手風部屋の岩崎は四股名を翔猿とすることを発表している。
異例の本名大関誕生の背景には、「十両昇進時、先代の鳴戸親方(元横綱・隆の里)が四股名をつけようとしたところ、高安の父親から“天智天皇(中大兄皇子)の頃からの由緒正しい名前なので残してほしい”と懇願された」(担当記者)という経緯がある。
その決意を応援する“援軍”も現われた。5月末、高安の故郷・茨城から遠く離れた大阪・八尾市にある近鉄「高安」駅前の商店街には、〈高安関、大関昇進おめでとう〉の看板が掲げられた。