めまぐるしく風向きが変わった都議選だった。国会の混乱でイメージ低下を招いた自民党。公示間際に築地・豊洲共存プランを発表した小池百合子知事と、彼女が率いる都民ファースト。こうした「変数」に流されず、安定した選挙戦を展開したのが公明党である。評論家・古谷経衡氏がその“力の源泉”を歩いた。
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公明党にとって東京都議会は特別の意味を持つ。1963年の東京都議会議員選挙(東龍太郎都政)にて一挙に17名の議員を獲得して地方議会に躍り出た同党(当時、国政では“公明政治連盟”を名乗った)は、続く1965年の都議選で「汚職追放」を掲げて23議席に躍進する。
時を同じくして国政では公明党が結党(1964年)。爾来、国政の「動乱」をよそに都議会で、常に20議席台を確保し続けてきた。
しかし今般、国政で自公連立を維持しながら、都議会で都民ファーストと結託するという「寝返り」をうった。これは1999年に小渕恵三が連立内閣を結成して以来、2009年~2012年の自民党下野時代においても一貫して国政・都議会で自公協力を貫いてきた公明党にとって初のケースとなる。
なぜ、それほどまでに公明党は都議選にこだわるのか。ひとつは1995年の宗教法人法改正まで、宗教法人の許認可権は知事に任されていたことにある。公明党最大の支持母体である創価学会にとって、宗教団体の許認可権、すなわち教団の生殺与奪を握る都議会での政権党の確保は至上命題である。